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2019年1月19日

🔶説教題:弟子の覚悟

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ8:14〜22

 

 めずらしくイエスの厳しい言葉が聞こえます。そこには、弟子の覚悟が促されています。この世で、心を病み、悪霊に苦しめられ、病気に脅かされ、イエスにすがると、悪霊を追い出し、病を癒し、全員を助けたのです。それは、たやすい事では決してありませんでした。イザヤの預言通りに、「私たちの患いを負い、私たちの病を担った」のです。身代わりです。そこまで人を愛された主の弟子が私たちなのです。弟子は師の跡を追います。それには、相応の覚悟が必要だったのです。それが現代の私たちにもあるでしょうか。ご一緒に考えましょう。

2019年1月12日

🔶説教題:信仰とは

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ8:1〜13

 

 山上の説教を終えられたイエスは、山を降りられました。そして、二人の人と出会います。その二人が共通していたことは、信仰をイエスに示したことでした。信仰とは、何だろう。一方に、イエスを憎み十字架につけた宗教家たちの信仰があり、そして他方に、重い皮膚病で社会からも見捨てられた哀れな病人と異邦人としてユダヤ人から汚れているとまで言われたローマの百卒長の信仰が対照的に出てきます。イエスが認めた信仰は、イエスが十字架で死んで初めて救われるような人たちのものでした。決して、自分の義を見せようとする人たちではなく、キリストにすがらなければならなかった悲しい人、でもキリストにすがれば大丈夫と信じることができた人が今日の主人公です。早速、メッセージを聴いてみましょう。

2019年1月5日

🔶説教題:キリストという土台

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:15〜23

 

 イエス・キリストの山上の説教の締めくくりです。それは、イエスの語った言葉を聞いて行うなら、天の父の御心を行うなら、天の国へ入れる者となる、ということでした。聖書を読んだ人は、結局、イエスによらなければ天の国へ入ることができないと知るのです。律法学者たちは、いにしえの預言者たちの言葉を解説しました。しかし、イエスは、自分の教えをよく聞いて、行えと語りました。だから、権威ある者として語っているのでユダヤ人たちは驚いたのです。私たちも、クリスチャンとしてどうすればいいのか、再度確認します。ぜひ、お聞きください。

2019年1月1日

🔶説教題:狭き門より入れ

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:13、14

 

2019年の元旦礼拝です。初めに讃美歌が入っています。讃美歌で心を整えてからメッセージに耳を傾けるもよし、飛ばしていきなりメッセージを聞くのもよしです。メッセージは、有名な「狭い門より入りなさい」という御言葉から、その真意を考えます。一年の始まりに、クリスチャンとしてどのように考え生きるのか、もう一度確かめてみることは意義があります。ご一緒に聖書を読みましょう。

2018年12月29日

🔶説教題:求めなさい

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:7〜12

 

有名な聖句「求めよ、さらば与えられん」は、クリスチャンでなくても知っている人が多い箇所です。しかし、クリスチャンでも、意味を取り違えている場合があります。求めても得られないと、それは信仰が足りないからと批判されることが起こります。そのような理解は、実は間違っているのです。それでは、一体どのように理解吸えれば良いのか、ご一緒に考えてみましょう。

2018年12月15日

🔶説教題:裁かない生き方

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:1〜6

 

イエス・キリストの教えの中でも有名な御言葉について学びます。それは、「裁いてはならない」と言うことです。クリスチャンになった人にとっては大変な命令です。何が裁いたことになるか、考えただけで頭が痛くなります。そして、考えていくと自分が何も深く考えずに他人を裁いていたことに気がつきます。それが、何の痛みを伴わなかったから、結果他人を傷つけても何も感じなかったし、気がつかなかったかもしれません。しかし、同じ秤で今度は自分が量られたら、どうか?だんだん、他人への心遣いや、優しさが重要であることに気づかされて行くのです。たった一言でも、次から次へと考えが巡ります。ご一緒に御言葉の深みを覗いてみましょう。

2018年12月8日

🔶説教題:思い煩わないで

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:19〜34

 

 私たちは、自分なりに努力して生きているのですが、罪の問題はなかなか難しく、悲しい思いをする者なのです。そこで、神様は救いを計画し、驚くべき良い知らせを聞かせてくださったのです。それが、主イエス・キリストの救いでした。イエス様は、思い煩わないで、とお語りになりました。父なる神様が必ず助けてくださるから、私たちに必要なことをちゃんと知っておられるから、と私たちを諭されました。そして、神の国と神の義を求めなさいと教えました。それは、罪のために私たちができなかった正しい生き方ができるように、イエス様が十字架にかかり、そして墓から復活されたことで罪から解放されることを意味していました。罪と死と悪魔から解放されて、自由になれるようにしてくださるのです。そのことがわかったらなら、一途にキリストに向かい、このことを達成しようと思えるのです。

2018年12月1日

🔶説教題:天に富を積む

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:19〜24

 

 イエス様の教えから学びます。今回は三つです。天に富を積みなさい、と言われた時に私たちはどのように理解するかといえば、清貧に甘んじることや、お金儲けなどしてはいけない、善行を積み、それが天に富を積むことになる、と考えるのではないでしょうか。問題は、私たちはそれほど立派な人格者ではないとうことです。普通に必要なものを買えるぐらいのお金は必要ですし、子供の学費や病気の時に困らない程度の蓄えは必要だと考えます。それらがよくない事とは思えないのです。では、イエス様は何を教えようとされていたのでしょうか。そのことをご一緒に解き明かしてみましょう。

2018年11月25日

🔶説教題:祈り

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:7〜15

 

 主の祈りはクリスチャンなら誰でも知っていて当たり前だと思われています。そして、礼拝でも必ず主の祈りを唱える教会も珍しくありません。クリスチャン家庭では、食前の祈りに主の祈りを唱えているという人もいます。しかし、初代教会で定形の祈祷文であったかといえば、どうもそうでは無いようです。ルカはマタイと違った主の祈りを書いていることからもそれが分かります。そこで、イエス様がどのような意味で主の祈りを教えられたかを考えてみたいと思います。それは、私たちにとっても意義あることだからです。

2018年11月18日

🔶説教題:偽善者ではなく

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:1〜6、16〜18

 

クリスチャンが戒めておかなければならない、大事なことが今日のテーマです。イエス様は偽善者と言い出します。律法を守ることは正しいことです。そこで、守ることが簡単ならば問題はないのですが、実際には人間の努力では難しいのです。それは人間には罪の問題があるからです。そこで、イエス・キリストが私たちを救うために十字架にかかられたのです。このイエス様の出来事の全てが人を救うためだったのです。つまり、救われるべき罪人が努力して、神様の御目に正しいと認められることはないのですが、そこに神様の側から救済があったのです。つまり、神様が人を義とするという救済です。その方法がイエス・キリストだったのです。人間にできることは、悔い改めてイエス様を信じることだけです。そのような人間が、さも私は立派ですと人の目を気にして行う善行は、やはり偽善でしかないのです。私たちがイエス様を信じたことで義と認められた、ということ以外には何もないのです。その救われた人の生き方は、神様に義としていただいた、という喜びでしかないのです。その人が意識しているのは、人の目ではなく、神様の目です。

2018年11月10日

🔶説教題:自由な奴隷

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:Ⅰペトロ2:21〜25

 

 クリスチャンの愛とはどのようなものでしょう。私たちはヒューマニズムの愛と混同していないでしょうか。ペトロは、信徒の指導者として、具体的に教えました。その教えは、私たちの普通の常識とは逆のように感じます。このキリスト教の愛は、イエス・キリストに根ざしているのです。それは、私たちに常識を超えて、成長を促し、とうとう奴隷のようにへりくだり、主に従順な者となって、キリストの足跡に倣う者へと変化します。そのためには、何度も何度も十字架の主を見つめなければならないのです。キリスト教の基礎をもう一度考えてみましょう。

2018年11月3日

🔶説教題:完全な者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:33〜48

 

 古代のイスラエルが驚くほどの宗教国家であったことは、当時の人々の生活が律法に根ざしていたことでもわかる。その彼らがしていたことは、キリスト教でも無い普通の日本人とあまり変わりがなかった。自分の意見や考えを通そうとする時に、神に誓ってと神を権威づけに使おうとして、さずがに神の御名をみだりに唱えては行けなかったので、天に誓う、とか地に誓うといったことをしていた。それがどんなに不信仰なことであったかは、気にもとめていない。また、自分を憎む者が現れることがある。何かで人から恨まれたり、故意に傷つけてやろうとか、憎しみから精神的ダメージを与えて二度と立ち上がれないようにしたい、といった人が現れることがある。その時に、その人を愛せるかとキリストは問いかけている。私たちに、欠けのない愛を求めているのだ。クリスチャンとして考えておかなければいけないテーマだ。

2018年10月28日

🔶説教題:心を見る神

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:27〜32

 

 前回の続きです。私たちが自分に罪は無いと言い張る時、罪を無視して自己を正当化しています。なぜ、こうなるかと言えば、律法を規則のように考えるからです。規則を守っているからいいじゃないか、というわけです。ところが、神様は心の中を見ることができるのです。そこで、律法は規則というようなものではなく、人間は本来神様に似せて造られた存在なので、愛にあって生きる者であることを教えています。自分は愛の実現者であるということです。それなのに、愛ではない、正反対のことを平気でしてしまうのです。この理由を罪と言っているのです。だから、一旦、罪に染まるとキリストの血潮で洗い清める以外に清くなる方法が無いのです。それで、キリスト以外には救いがないということになります。規則だと思うから人を裁くし、守っていると豪語することになります。愛のことなどどこかに消えています。だから、キリストの生涯に現れた出来事は、杓子定規に人を規則で裁いてはいけないことを教えてくれます。

2018年10月21日

🔶説教題:裁判所に着いてしまう

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:17〜26

 

 イエスは律法をいい加減に守らなくても良いと教えている、とユダヤ人から危険視され始めます。そこで、イエスは、そうではなく、旧約聖書に書かれたことを完成するために来たのだ、と語ります。この箇所は、読み方を間違えると、律法をもっと頑張って守らないと天国へ入ることはできない、と理解してしまいそうです。しかし、人間の頑張りでは律法を完全に守って神様に義と認めていただけないのです。だから、イエス・キリストが来られて、十字架に架かり、罪の贖いを果たしてくれました。そして、死から復活してみせたのです。このことにより、私たちは、イエス・キリストが義となって、信仰を持ってキリストを仰ぐ者に恵みで義を与えてくださることを教えたいのです。メッセージをどうぞ。

2018年10月14日

🔶説教題:塩と光

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:13〜16

 

有名な「地の塩」と「世の光」の話です。頑張って良い行いをして、その役割を果たすように、ということをイエスは言おうとしていたのではありません。この世の人々の間で、キリストはクリスチャンの中に生きて働くことを教えています。それなので、クリスチャンが何か良いことをするからではなく、神の圧倒的な力が内から外に出てくることをクリスチャンが妨げてはいけないということです。神の通り良き管になることです。

2018年10月6日

🔶説教題:平和を作る者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:7−12

 

8福の後半部分を読んでみましょう。私たちは真面目なので、ついこれは徳目のリストだと思いやすいのです。しかし、マタイ5:7以降に書かれたことは、キリストによって救われる人のことを書いてあるのです。形式は旧約聖書の詩篇のようですが、誰がここに出てくるような救いを与えてくださるのかは書かれていません。聴衆の目の前で語っているイエス様こそがこのような救いを実現してくださるのです。この箇所をクリスチャンとして正しく理解しておく必要があります。ご一緒に考えてみましょう。