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2019年5月19日

🔶説教題:神の国とは

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ13:24〜43

 

 イエスの譬え話が三つ今日の聖書箇所に出てきます。イエスが登場することで神の支配が始まった。イエスは農夫としてこの世界という畑に種をまく、その種とは弟子たちのことでした。しかし、悪魔がいてそれらの働きを邪魔するのです。その決着は、終末、つまり最後の裁きがなされる時に明暗を分けることになる。そして、からし種のような極小さな種があっという間に5メートルにも成長し、鳥が宿る木となる。この種は取るに足りない小さな者ですが、それが神の国が始まったことにより、世界を揺るがすような大きな働きをする。福音が世界中に広がるのです。小麦粉に入れらるイースト菌は極わずかであっても、混ぜると全体に行き渡り、パンへと膨らませるのです。そのように、弟子たちの働きは神の力、聖霊が宿り、この世界を変えてしまうというのです。そのように理解すれば、クリスチャンは驚くべき体験を誰でもがするようになり、世界は罪から救われていくのです。早速、説教に耳を傾けてみましょう。

2019年5月11日

🔶説教題:イエスの譬え話

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ13:1〜23

 

 「種を蒔く人」のたとえ、からイエスは話し始めます。そして、たとえを用いて話す理由を弟子たちに教えます。たとえの説明がその後に続きます。これらかのことは、一体何を伝えようとしているのでしょうか。たとえは、決してわかりやすくありません。むしろわざとわかりにくく煙に巻いているような話し方です。このことの意味を考えてみましょう。

2019年5月4日

🔶説教題:主と神の国を生きる

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ12:38〜50

 

 イエスを見てどのような反応をしたか、三つのグループに分けることができます。第一は、律法学者やファリサイ派のように、病人の癒しや悪霊追い出しを見ても、キリストであることを理解できず、別のしるしを求める人たちは、イエスを憎みました。第二は、病気を癒していただいたり、悪霊を追い出していただいたりした人たちの中に、イエスの傍観者でしかなく、イエスが旧約聖書が預言していたメシアであると認めなかった人たちです。第三に、イエスの弟子たちが出てきます。彼らはすぐにイエスの内に神の力が宿っていることを認め、霊的にイエスがキリストであることを認めることのできる人たちでした。このような、霊的な感性がある人たちがクリスチャンとなっているのです。

2019年4月27日

🔶説教題:聖霊を冒涜するな

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ12:22〜37

 

イエスの到来は、人間にとっては最も驚くべきことであり、また、神がいよいよ人類救済のために動き出し、神の国が到来した証であった。それは、とりもなおさず、神の支配が始まったことを意味する。それは、人間が律法を守って義となることができなかったために、神がありのままで人間を救うことを、つまりは神が人を義とすることを決意し、実行に移したことを意味する。そこには、神の恩寵が溢れている。その救いのメカニズムは、聖霊によることが大きい。キリストの罪の贖いによって、清められた人間に注がれた聖霊が人の内側に宿り、その人の信仰によって明確に働かれるからだ。それゆえ、聖霊に逆らえば、人間には救いの道は消え、他に救済の道はなくなる。早速、説教を聞いてみよう。

2019年4月21日

🔶説教題:主の僕

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ12:15〜21

 

イエスは誰だったのか。マタイという弟子が見て、一緒に過ごした日々から、イエスをどのように理解したのか、それがここではよく出ています。イザヤ書の「主の僕」こそが、まさにイエスであると証言しているのです。そのことから、父なる神と御子イエスのなさったことが、私たちの救いとどう関係しているのか、今日の説教から理解が深まるはずです。

2019年4月14日

🔶説教題:安息日と解放

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ12:1〜14

 

 安息日は神様の愛の証ですが、初めの喜びは、宗教家によって厳しい掟となり、禁止事項の山となりました。特にファリサイ派は真面目に真剣に安息日の遵守に努めたのです。その彼らが脅威に感じたのはイエスの出現です。イエスが旧約のメシア預言をことごとく成就していることも彼らの目を開くことにはなりません。それどころか、彼らは自分たちがどんなに努力して安息日を完全に遵守しているか、しまいにはその事が彼らの傲慢さになってしまうのです。このように、宗教に潜む落とし穴は、安息日のような恵みすら、奴隷のような苦しみに変えてしまい、天の父の福音を否定し、安息日の主であるイエスをも認めずに、憎むことになります。それは、ファリサイ派の厳格に守り通してきた事をイエスが全部否定しているように受け止めたからです。このようなコントラストから、福音の意味を考えます。

2019年4月6日

🔶説教題:休ませてあげよう

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ11:20〜30

 

 伝道講演会などで、しばしば使われる有名な聖句が今日の中心聖句です。イエスは、旧約聖書で預言されたメシアとして現れたが、そのしるしを見ても、悔い改めてイエスを信じる者が少なかったのです。どんな病気も治してしまうイエスの働きをそばで見た人は実に多かったのです。それ以外にも奇跡がいくつもあったのです。どう考えても旧約聖書の預言の成就であるメシアが目の前にいるのです。そのイエスは、罪人の罪を贖い、死んでいる者を天の命を注いで生かしてしまうお方だったのです。そのイエスの他には人間を救う方法は全くありません。イエスの愛と恵みが今も私たちに向けられ、キリストから学ぶことが期待されているのです。

2019年3月30日

🔶説教題:あなたを受け入れる

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ11:1〜19

 

 バプテスマのヨハネとは、何であったのか。イエス自らが語ります。それは、旧約聖書と関係があります。預言が成就したのです。そして、聖書の中の難解聖句が出てきます。その真の意味を考えてみます。キリストが何をなそうとされていたのか、さらに私たちは理解を深めることができるでしょう。

2019年3月23日

🔶説教題:あなたを受け入れる

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:34〜42

 

 イエスの不思議は、人を見事に二つに分けてしまう事でしょう。それは、イエスの十字架の贖いの意味を真に理解した人がイエスに対する絶対的な信仰を持ち、聖書に書かれた通りに、イエス・キリストがその人の内に住んでくださることを経験すると、これ以上の価値は無いと悟るのです。それは、全てを捨ててでも得たい絶対的な価値なのです。イエスを宝と見るか、そうで無いかで二つに分かれます。そこから、さらに詳細な問題まで考察してみましょう。

2019年3月17日

🔶説教題:イエスの弟子

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ10:26〜33

 

 イエスは弟子たちを天の父の御前で仲間と言ってくださるとお語りになられました。それは、また、現代の弟子たちにも同じように語ってくださるでしょう。つまり、私たちはイエスの仲間なのです。それがどんなに素晴らしいことか、ご一緒に考えてみましょう。

2019年3月9日

🔶説教題:僕は主人のように

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ10:16〜25

 

 クリスチャンがイエスの弟子であるように、イエスが憎まれ迫害されたように、また弟子たちにも同じような試練が待ち構えています。信教の自由がない国もありますし、現に信仰を持っているだけで弾圧されたり、投獄されている国もあるのです。その中で、私たちは平和を謳歌していますが、この時にも迫害の苦しみを不当に味わっている神の家族がいるのです。北朝鮮はクリスチャンを迫害する国の第一位の国です。私たちは、苦しみの中にあるクリスチャンのために熱心に祈る必要があるのです。

2019年3月3日

🔶説教題:弟子の派遣

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ10:1〜15

 

イエスは12人を選び、12使徒としました。彼らに「神の国は近づいた」と告げさせ、悪霊を追い出す権能を授けます。キリストの思いと、今日まで続く弟子の働きをご一緒に聖書から学びましょう。

2019年2月23日

🔶説教題:収穫の働き手

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:27〜38

 

今日の聖書箇所は、今まで読んできたことのまとめです。死人を蘇らせたり、癒しや悪霊追い出しなど、イエスは、並みの宗教教師とは違っていました。人を心から憐れみ、慈悲に満ちた心で人に接していたのです。それゆえに、私たちの信仰が問われているように思われがちですが、救われるのは、普通の人の普通の信仰で全く構わなかったのです。特別信仰熱心とか、到底真似のできない一途な信仰という強烈なものを求められても、私たちの何人がそのように途方も無い信仰に達することができるのでしょう。ところが、イエスの言動は、マタイのような罪人と一見してわかるほどの人でも受け入れるのですから、その裏付けとなる罪をわが身に引き受ける気概がなければできないことばかりでした。それは、死んでいる者に命を与えることができる凄さと同時に、十字架にかかって、イエスが助けた人たちの罪と罰を全て引き受けて死んで見せ、尚且つ、死を打ち破るために復活する勝利者となる覚悟がすでにあったのです。このことを覚えて、説教に耳を傾けてください。

2019年2月16日

🔶説教題:立ち止まるイエス

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:18〜26

 

複雑に交錯する二つの物語から、イエス・キリストの意味を探ります。私たちの命を司るお方が、憐れみに富み、あなたの為に立ち止まる。本編をご覧ください。

2019年2月10日

🔶説教題:断食ありかなしか

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:14ー17

 

 ヨハネの弟子たちがイエス様に自分たちは断食をするのに、イエス様のお弟子たちは断食しないのはなぜか、と問いかけるところから今日のテキストは始まります。これは、断食の意味するとことが、自己犠牲を払って隣人愛を貫くことであったのに、自己を高めるための形式的なものになってしまっていたことを戒める目的がありました。そして、よく知っている二つの譬え話が続きます。ご一緒にその真の意味を探ってみましょう。

2019年2月3日

🔶説教題:罪人を招くために

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:1〜13

 

 罪人を招くために主イエス・キリストは来られたことが明瞭にわかる箇所です。律法学者はイエスと罪人が一緒に食事をするのが我慢なりません。私たちがもし、律法学者のように宗教を捉えていたなら、私たちは清い者となるために努力するようになるでしょう。その時に、清くなるために、罪人を汚れていると遠ざけるようになるのです。しかし、うわべは清くなったように見えても、決して清くなったと神様に認めていただけるかどうか自信が持てないでしょう。そもそも、律法は神を愛し、自分を愛するごとくに隣人を愛することを定めているものなのです。それなのに、罪人を差別するのは、愛の否定になるので、そもそもおかしなことなのです。罪人が変われるのは、いつでも愛されたときだけです。さて、今日のメッセージを聞いてみてください。

2019年1月26日

 

🔶説教題:聖霊による眠り

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ8:23〜34

 

 二つのお話です。一つ目は、悪霊に取り憑かれた二人の人の話です。ここからもいろいろな事が学べますので、解き明かします。二つ目は舟でイエス様一行が向こう岸へ渡ろうとした時に、嵐に遭い死にそうになります。その時イエス様が眠っていました。そこから、信仰者にとって重要な教訓と教えを学びます。聖書を読むと信仰は中途半端ではいけないとつくづく思わされます。信仰の励ましを得るためにも説教をお聴きください。

2019年1月19日

🔶説教題:弟子の覚悟

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ8:14〜22

 

 めずらしくイエスの厳しい言葉が聞こえます。そこには、弟子の覚悟が促されています。この世で、心を病み、悪霊に苦しめられ、病気に脅かされ、イエスにすがると、悪霊を追い出し、病を癒し、全員を助けたのです。それは、たやすい事では決してありませんでした。イザヤの預言通りに、「私たちの患いを負い、私たちの病を担った」のです。身代わりです。そこまで人を愛された主の弟子が私たちなのです。弟子は師の跡を追います。それには、相応の覚悟が必要だったのです。それが現代の私たちにもあるでしょうか。ご一緒に考えましょう。

2019年1月12日

🔶説教題:信仰とは

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ8:1〜13

 

 山上の説教を終えられたイエスは、山を降りられました。そして、二人の人と出会います。その二人が共通していたことは、信仰をイエスに示したことでした。信仰とは、何だろう。一方に、イエスを憎み十字架につけた宗教家たちの信仰があり、そして他方に、重い皮膚病で社会からも見捨てられた哀れな病人と異邦人としてユダヤ人から汚れているとまで言われたローマの百卒長の信仰が対照的に出てきます。イエスが認めた信仰は、イエスが十字架で死んで初めて救われるような人たちのものでした。決して、自分の義を見せようとする人たちではなく、キリストにすがらなければならなかった悲しい人、でもキリストにすがれば大丈夫と信じることができた人が今日の主人公です。早速、メッセージを聴いてみましょう。

2019年1月5日

🔶説教題:キリストという土台

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:15〜23

 

 イエス・キリストの山上の説教の締めくくりです。それは、イエスの語った言葉を聞いて行うなら、天の父の御心を行うなら、天の国へ入れる者となる、ということでした。聖書を読んだ人は、結局、イエスによらなければ天の国へ入ることができないと知るのです。律法学者たちは、いにしえの預言者たちの言葉を解説しました。しかし、イエスは、自分の教えをよく聞いて、行えと語りました。だから、権威ある者として語っているのでユダヤ人たちは驚いたのです。私たちも、クリスチャンとしてどうすればいいのか、再度確認します。ぜひ、お聞きください。

2019年1月1日

🔶説教題:狭き門より入れ

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:13、14

 

2019年の元旦礼拝です。初めに讃美歌が入っています。讃美歌で心を整えてからメッセージに耳を傾けるもよし、飛ばしていきなりメッセージを聞くのもよしです。メッセージは、有名な「狭い門より入りなさい」という御言葉から、その真意を考えます。一年の始まりに、クリスチャンとしてどのように考え生きるのか、もう一度確かめてみることは意義があります。ご一緒に聖書を読みましょう。

2018年12月29日

🔶説教題:求めなさい

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:7〜12

 

有名な聖句「求めよ、さらば与えられん」は、クリスチャンでなくても知っている人が多い箇所です。しかし、クリスチャンでも、意味を取り違えている場合があります。求めても得られないと、それは信仰が足りないからと批判されることが起こります。そのような理解は、実は間違っているのです。それでは、一体どのように理解吸えれば良いのか、ご一緒に考えてみましょう。

2018年12月15日

🔶説教題:裁かない生き方

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ7:1〜6

 

イエス・キリストの教えの中でも有名な御言葉について学びます。それは、「裁いてはならない」と言うことです。クリスチャンになった人にとっては大変な命令です。何が裁いたことになるか、考えただけで頭が痛くなります。そして、考えていくと自分が何も深く考えずに他人を裁いていたことに気がつきます。それが、何の痛みを伴わなかったから、結果他人を傷つけても何も感じなかったし、気がつかなかったかもしれません。しかし、同じ秤で今度は自分が量られたら、どうか?だんだん、他人への心遣いや、優しさが重要であることに気づかされて行くのです。たった一言でも、次から次へと考えが巡ります。ご一緒に御言葉の深みを覗いてみましょう。

2018年12月8日

🔶説教題:思い煩わないで

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:19〜34

 

 私たちは、自分なりに努力して生きているのですが、罪の問題はなかなか難しく、悲しい思いをする者なのです。そこで、神様は救いを計画し、驚くべき良い知らせを聞かせてくださったのです。それが、主イエス・キリストの救いでした。イエス様は、思い煩わないで、とお語りになりました。父なる神様が必ず助けてくださるから、私たちに必要なことをちゃんと知っておられるから、と私たちを諭されました。そして、神の国と神の義を求めなさいと教えました。それは、罪のために私たちができなかった正しい生き方ができるように、イエス様が十字架にかかり、そして墓から復活されたことで罪から解放されることを意味していました。罪と死と悪魔から解放されて、自由になれるようにしてくださるのです。そのことがわかったらなら、一途にキリストに向かい、このことを達成しようと思えるのです。

2018年12月1日

🔶説教題:天に富を積む

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:19〜24

 

 イエス様の教えから学びます。今回は三つです。天に富を積みなさい、と言われた時に私たちはどのように理解するかといえば、清貧に甘んじることや、お金儲けなどしてはいけない、善行を積み、それが天に富を積むことになる、と考えるのではないでしょうか。問題は、私たちはそれほど立派な人格者ではないとうことです。普通に必要なものを買えるぐらいのお金は必要ですし、子供の学費や病気の時に困らない程度の蓄えは必要だと考えます。それらがよくない事とは思えないのです。では、イエス様は何を教えようとされていたのでしょうか。そのことをご一緒に解き明かしてみましょう。

2018年11月25日

🔶説教題:祈り

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:7〜15

 

 主の祈りはクリスチャンなら誰でも知っていて当たり前だと思われています。そして、礼拝でも必ず主の祈りを唱える教会も珍しくありません。クリスチャン家庭では、食前の祈りに主の祈りを唱えているという人もいます。しかし、初代教会で定形の祈祷文であったかといえば、どうもそうでは無いようです。ルカはマタイと違った主の祈りを書いていることからもそれが分かります。そこで、イエス様がどのような意味で主の祈りを教えられたかを考えてみたいと思います。それは、私たちにとっても意義あることだからです。

2018年11月18日

🔶説教題:偽善者ではなく

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ6:1〜6、16〜18

 

クリスチャンが戒めておかなければならない、大事なことが今日のテーマです。イエス様は偽善者と言い出します。律法を守ることは正しいことです。そこで、守ることが簡単ならば問題はないのですが、実際には人間の努力では難しいのです。それは人間には罪の問題があるからです。そこで、イエス・キリストが私たちを救うために十字架にかかられたのです。このイエス様の出来事の全てが人を救うためだったのです。つまり、救われるべき罪人が努力して、神様の御目に正しいと認められることはないのですが、そこに神様の側から救済があったのです。つまり、神様が人を義とするという救済です。その方法がイエス・キリストだったのです。人間にできることは、悔い改めてイエス様を信じることだけです。そのような人間が、さも私は立派ですと人の目を気にして行う善行は、やはり偽善でしかないのです。私たちがイエス様を信じたことで義と認められた、ということ以外には何もないのです。その救われた人の生き方は、神様に義としていただいた、という喜びでしかないのです。その人が意識しているのは、人の目ではなく、神様の目です。

2018年11月10日

🔶説教題:自由な奴隷

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:Ⅰペトロ2:21〜25

 

 クリスチャンの愛とはどのようなものでしょう。私たちはヒューマニズムの愛と混同していないでしょうか。ペトロは、信徒の指導者として、具体的に教えました。その教えは、私たちの普通の常識とは逆のように感じます。このキリスト教の愛は、イエス・キリストに根ざしているのです。それは、私たちに常識を超えて、成長を促し、とうとう奴隷のようにへりくだり、主に従順な者となって、キリストの足跡に倣う者へと変化します。そのためには、何度も何度も十字架の主を見つめなければならないのです。キリスト教の基礎をもう一度考えてみましょう。

2018年11月3日

🔶説教題:完全な者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:33〜48

 

 古代のイスラエルが驚くほどの宗教国家であったことは、当時の人々の生活が律法に根ざしていたことでもわかる。その彼らがしていたことは、キリスト教でも無い普通の日本人とあまり変わりがなかった。自分の意見や考えを通そうとする時に、神に誓ってと神を権威づけに使おうとして、さずがに神の御名をみだりに唱えては行けなかったので、天に誓う、とか地に誓うといったことをしていた。それがどんなに不信仰なことであったかは、気にもとめていない。また、自分を憎む者が現れることがある。何かで人から恨まれたり、故意に傷つけてやろうとか、憎しみから精神的ダメージを与えて二度と立ち上がれないようにしたい、といった人が現れることがある。その時に、その人を愛せるかとキリストは問いかけている。私たちに、欠けのない愛を求めているのだ。クリスチャンとして考えておかなければいけないテーマだ。

2018年10月28日

🔶説教題:心を見る神

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:27〜32

 

 前回の続きです。私たちが自分に罪は無いと言い張る時、罪を無視して自己を正当化しています。なぜ、こうなるかと言えば、律法を規則のように考えるからです。規則を守っているからいいじゃないか、というわけです。ところが、神様は心の中を見ることができるのです。そこで、律法は規則というようなものではなく、人間は本来神様に似せて造られた存在なので、愛にあって生きる者であることを教えています。自分は愛の実現者であるということです。それなのに、愛ではない、正反対のことを平気でしてしまうのです。この理由を罪と言っているのです。だから、一旦、罪に染まるとキリストの血潮で洗い清める以外に清くなる方法が無いのです。それで、キリスト以外には救いがないということになります。規則だと思うから人を裁くし、守っていると豪語することになります。愛のことなどどこかに消えています。だから、キリストの生涯に現れた出来事は、杓子定規に人を規則で裁いてはいけないことを教えてくれます。

2018年10月21日

🔶説教題:裁判所に着いてしまう

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:17〜26

 

 イエスは律法をいい加減に守らなくても良いと教えている、とユダヤ人から危険視され始めます。そこで、イエスは、そうではなく、旧約聖書に書かれたことを完成するために来たのだ、と語ります。この箇所は、読み方を間違えると、律法をもっと頑張って守らないと天国へ入ることはできない、と理解してしまいそうです。しかし、人間の頑張りでは律法を完全に守って神様に義と認めていただけないのです。だから、イエス・キリストが来られて、十字架に架かり、罪の贖いを果たしてくれました。そして、死から復活してみせたのです。このことにより、私たちは、イエス・キリストが義となって、信仰を持ってキリストを仰ぐ者に恵みで義を与えてくださることを教えたいのです。メッセージをどうぞ。

2018年10月14日

🔶説教題:塩と光

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:13〜16

 

有名な「地の塩」と「世の光」の話です。頑張って良い行いをして、その役割を果たすように、ということをイエスは言おうとしていたのではありません。この世の人々の間で、キリストはクリスチャンの中に生きて働くことを教えています。それなので、クリスチャンが何か良いことをするからではなく、神の圧倒的な力が内から外に出てくることをクリスチャンが妨げてはいけないということです。神の通り良き管になることです。

2018年10月6日

🔶説教題:平和を作る者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:7−12

 

8福の後半部分を読んでみましょう。私たちは真面目なので、ついこれは徳目のリストだと思いやすいのです。しかし、マタイ5:7以降に書かれたことは、キリストによって救われる人のことを書いてあるのです。形式は旧約聖書の詩篇のようですが、誰がここに出てくるような救いを与えてくださるのかは書かれていません。聴衆の目の前で語っているイエス様こそがこのような救いを実現してくださるのです。この箇所をクリスチャンとして正しく理解しておく必要があります。ご一緒に考えてみましょう。