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*1.2018年9月30日の礼拝は、台風のために中止となりました。そのために礼拝ビデオはありません。

 

*2.    2018年8月18日の礼拝は、機器不良のために録音ができませんでした。そのため、礼拝ビデオがありません。

 

*3.2018年7月28日の礼拝は、台風のために中止となりました。そのために礼拝ビデオはありません。

2018年11月10日

🔶説教題:自由な奴隷

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:Ⅰペトロ2:21〜25

 

 クリスチャンの愛とはどのようなものでしょう。私たちはヒューマニズムの愛と混同していないでしょうか。ペトロは、信徒の指導者として、具体的に教えました。その教えは、私たちの普通の常識とは逆のように感じます。このキリスト教の愛は、イエス・キリストに根ざしているのです。それは、私たちに常識を超えて、成長を促し、とうとう奴隷のようにへりくだり、主に従順な者となって、キリストの足跡に倣う者へと変化します。そのためには、何度も何度も十字架の主を見つめなければならないのです。キリスト教の基礎をもう一度考えてみましょう。

2018年11月3日

🔶説教題:完全な者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:33〜48

 

 古代のイスラエルが驚くほどの宗教国家であったことは、当時の人々の生活が律法に根ざしていたことでもわかる。その彼らがしていたことは、キリスト教でも無い普通の日本人とあまり変わりがなかった。自分の意見や考えを通そうとする時に、神に誓ってと神を権威づけに使おうとして、さずがに神の御名をみだりに唱えては行けなかったので、天に誓う、とか地に誓うといったことをしていた。それがどんなに不信仰なことであったかは、気にもとめていない。また、自分を憎む者が現れることがある。何かで人から恨まれたり、故意に傷つけてやろうとか、憎しみから精神的ダメージを与えて二度と立ち上がれないようにしたい、といった人が現れることがある。その時に、その人を愛せるかとキリストは問いかけている。私たちに、欠けのない愛を求めているのだ。クリスチャンとして考えておかなければいけないテーマだ。

2018年10月28日

🔶説教題:心を見る神

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:27〜32

 

 前回の続きです。私たちが自分に罪は無いと言い張る時、罪を無視して自己を正当化しています。なぜ、こうなるかと言えば、律法を規則のように考えるからです。規則を守っているからいいじゃないか、というわけです。ところが、神様は心の中を見ることができるのです。そこで、律法は規則というようなものではなく、人間は本来神様に似せて造られた存在なので、愛にあって生きる者であることを教えています。自分は愛の実現者であるということです。それなのに、愛ではない、正反対のことを平気でしてしまうのです。この理由を罪と言っているのです。だから、一旦、罪に染まるとキリストの血潮で洗い清める以外に清くなる方法が無いのです。それで、キリスト以外には救いがないということになります。規則だと思うから人を裁くし、守っていると豪語することになります。愛のことなどどこかに消えています。だから、キリストの生涯に現れた出来事は、杓子定規に人を規則で裁いてはいけないことを教えてくれます。

2018年10月21日

🔶説教題:裁判所に着いてしまう

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:17〜26

 

 イエスは律法をいい加減に守らなくても良いと教えている、とユダヤ人から危険視され始めます。そこで、イエスは、そうではなく、旧約聖書に書かれたことを完成するために来たのだ、と語ります。この箇所は、読み方を間違えると、律法をもっと頑張って守らないと天国へ入ることはできない、と理解してしまいそうです。しかし、人間の頑張りでは律法を完全に守って神様に義と認めていただけないのです。だから、イエス・キリストが来られて、十字架に架かり、罪の贖いを果たしてくれました。そして、死から復活してみせたのです。このことにより、私たちは、イエス・キリストが義となって、信仰を持ってキリストを仰ぐ者に恵みで義を与えてくださることを教えたいのです。メッセージをどうぞ。

2018年10月14日

🔶説教題:塩と光

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:13〜16

 

有名な「地の塩」と「世の光」の話です。頑張って良い行いをして、その役割を果たすように、ということをイエスは言おうとしていたのではありません。この世の人々の間で、キリストはクリスチャンの中に生きて働くことを教えています。それなので、クリスチャンが何か良いことをするからではなく、神の圧倒的な力が内から外に出てくることをクリスチャンが妨げてはいけないということです。神の通り良き管になることです。

2018年10月6日

🔶説教題:平和を作る者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:7−12

 

8福の後半部分を読んでみましょう。私たちは真面目なので、ついこれは徳目のリストだと思いやすいのです。しかし、マタイ5:7以降に書かれたことは、キリストによって救われる人のことを書いてあるのです。形式は旧約聖書の詩篇のようですが、誰がここに出てくるような救いを与えてくださるのかは書かれていません。聴衆の目の前で語っているイエス様こそがこのような救いを実現してくださるのです。この箇所をクリスチャンとして正しく理解しておく必要があります。ご一緒に考えてみましょう。

2018年9月23日

🔶説教題:幸いな人

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:1〜6

 

イエスの山上の説教から考えて見ます。イエス・キリストと貧しい人との関係は深いものがあります。どんなに歴史が進んでも、貧富の差は無くならず、経済的に恵まれている国でも深刻な問題として度々ニュースに出てきます。マタイ5章からのイエスの説教の意味や、特に八福とから言われる、有名な言葉の意味を考えます。私たちにも関係する大事なお話です。

2018年9月15日

🔶説教題:人間をとる漁師

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ4:17〜25

 

 キリストはガリラヤから宣教を始めます。それは、神の支配の始まりでキリストの到来によってもたらされたのです。キリストは、エルサレムのようなエリートの場所ではなく、むしろ彼らからさげすまれ汚れた地と見なされていたガリラヤで宣教を始めました。それは、あらゆる病や患いを癒すことを伴っていたのです。そのため、大勢の人たちがイエスのもとへ群衆となって集まってきました。人間の抱える罪の問題は、本人には解決が不可能でしたが、イエス・キリストの憐れみはその不可能を可能にすることでした。神が人間を義とするのです。

2018年9月9日

🔶説教題:立ち返れ

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ4:12〜17

 

なぜ、イエスはガリラヤに退かれて、そこをホームグラウンドにして、宣教を開始されたのでしょうか。それは、イザヤの預言に示されたことに関係があります。ガリラヤはエルサレムに住むユダヤ人からみれば、汚れた人たちの住む所でした。なぜ、イエスは清いと自分たちのことを認めているエルサレムの人たちの所へ行くのではなく、辺境の外国に蹂躙され戦果にまみれ、最悪の被害を受けて、外国人まで移民させて、暗闇と汚れの場所になっていたのです。それは、今日の罪と死の陰に怯える人間と重なります。イエスは、そのように罪と悲しみの中にいる人たちの元へ真っ先に来られたのです。私たちを慰め励まされるイエス・キリストに焦点を当ててみましょう。

2018年9月2日

🔶説教題:誘惑と勝利

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ4:1〜11

 

 洗礼を受け、さらに天から聖霊がイエスの上に降り、天からの声が聞こえた。まさに信仰者にとってみれば、信仰の最高潮と言って良いような状態で、次に何が起こったか。悪魔が誘惑するために聖霊が荒野にイエスを導いたというのだ。そして、誘惑する者は三度に渡ってイエスに誘惑の攻撃を仕掛けた。これらのことは私たちにどのような教えとなっているのか、悪魔の誘惑に初代教会はどのように対抗したのだろう。考えることの多い箇所から、気になることに目を留めてみよう。

2018年8月25日

🔶説教題:神の義の始まり

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ3:13〜17

 

 なぜイエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けられたのだろう。イエスの言われた「正しいこと」とは何のことなのか。これらの出来事が私たちの救いとどんな関係があるのだろう。誰でも知っているイエスの洗礼の話しには私たちが知るべき大事な真理が隠されている。その事を知るために聖書を一緒に読み進めて見たい。

2018年8月11日

🔶説教題:召された姿のままに

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:詩篇23:4

 

 クリスチャンにとって聖書の言葉は特別です。信仰生活で良いときも悪い時も折に触れ聖句に慰めや励ましをもらうのです。今回は「バイブル・ゲートウェイ」の記念で聖句のベスト10が公表されたことから、その聖句をどうして多くの人たちが検索したのか考えて見ました。どれもクリスチャンを支える重要な聖句ばかりです。あなたを元気にしてくれる聖句に巡り会えると思います。ご一緒に見て見ましょう。

2018年8月4日

🔶説教題:信仰

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:ヘブライ11:1

 

「信仰」について聖書から正しい理解を得ましょう。それは、人間の常識的なものとはちょっと違っているかもしれません。信仰について聖書が何と書いてあるか、実際に読みながら、驚くべき全貌を見て見ましょう。

2018年7月21日

🔶説教題:悔い改めと神の国

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マルコ1:15

 

 クリスチャンにとって悔い改めはよく知っているはずの言葉です。しかし、それは、クリスチャンになる前の罪をキリストの十字架の贖いによって清め赦していただくことを意味していると思います。ところが、クリスチャンになって一番問題になることは、奇跡を見たことがない、神が本当にいるかどうかわからなくなってきた、成長しているかどうか実感がない、と言った、深刻な問題なのです。確かに多くの教会で奇跡が起こらないことを当たり前のようにしていることも事実です。そのようなことでは満足が行かない、もっと神に近づき奇跡を体験したい、という信仰者がいてもおかしくないのです。ではどうすれば良いのか、そこに悔い改めはどのように関係するのか、そして、神の国と何の関わりがあるのか、この大切な信仰の話をぜひ、お聞きください。

2018年7月14日

🔶説教題:聖霊が降る

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:使徒言行録2:23

 

 使徒言行録を読むと、聖霊が降ることが良くわかります。それは、主イエス・キリストの語られたことの成就です。しかも、キリスト教の歴史を通して聖霊は降ったのです。それが、多くの人たちを救いに導いた原動力でした。しかし、19世紀の後半頃から様子が変わりました。教会までが科学的でなければならなくなってしまい、聖霊が降ることを言わなくなりました。それは、聖霊をテーマにした本でも聖霊が人に下り、力を与えることが消えてしまっているのです。ところが、リバイバルは聖霊が降ることだし、歴史に名を残す伝道者や説教者は聖霊が降ることを体験した人たちなのです。彼らの伝記を読めば明らかです。それでも、聖霊が力であることを認められない人たちが大勢いるのです。そこで、聖書からもう一度真実を調べてみましょう。説教をお聞きください。

2018年7月7日

🔶説教題:信仰者の解決

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント6:1〜11

 

教会員同士の争いは、残念なことに起こり得ることです。それは、考え方も、性格も違う多様な人たちが一緒にいれば避けられないことです。それは、コリントの教会でも起こっていました。最悪なことに、クリスチャンではない人たちに仲裁を頼み、時には裁判ざたにまで発展してしまったようです。そもそもクリスチャンは聖なる者としていただき、義とされた人なのです。それが、どうして争わなければならなかったか、ご一緒に考えてみましょう。現代の教会でも起こっている争いの問題を研究してみましょう。

2018年6月30日

🔶説教題:平凡な悪

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント5:9〜13

 

ハンナ・アーラントという女性がいました。彼女はユダヤ人でナチスによって収容所に入れらましたが脱出して生き残れたユダヤ人です。数百万人ものユダヤ人を収容所に入れた責任者のアドルフ・アイヒマンがついに逮捕され、イスラエルで裁判にかけられる事になりました。ハンナは政治哲学者として活躍していたのですが、ザ・ニューヨーカー誌に裁判記事を書くための特派員になりました。それは、彼女がなぜこれほどの大きな悪がなされたのかを知るためでもあったのです。その結果は予想外でした。アイヒマンは自分はヒットラーの命令に従っただけで悪いのはヒットラーだと弁明したのです。それは、大きな組織に属した人が上の命令に従っただけだ、と言っているのに似ています。悪魔のような悪人として断罪されるべき人が、実は小役人のように何も考えずに命令だからと数百万人ものユダヤ人を残酷に扱ったのです。なぜ、彼は考えなかったのだろう。この思考の停止こそが悪なのではないか。どんな組織でも、それがたとえ教会であろうとも、悪は忍び寄ります。何が悪か考えることが必要なのです。この世の基準に合わせたなら、教会はすでに教会ではなくなってしまうのです。神の支配がある場が教会であります。そうであれば、罪は悔い改めるなら赦しがあるが、罪を見逃して許容すれば、それは神の支配を拒否することと同じなのです。そのことがわかれば、自ずと罪を罪として対処することができるのです。教会が悪についてどうするか一緒に考えて見ましょう。

2018年6月23日

🔶説教題:純粋で真実のパン

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント5:1〜8

 

 コリントの教会で起こった不祥事は、この世の人からも叱責されるような不道徳なことでした。聖霊を受けて新生した人がこのような大きな問題を起こした時に、教会の対応は驚くほど寛容だったのです。パウロは、パン種が入れば練り粉全体が影響を受けると過越のパンを使って事の深刻さを諭します。さらに、過越の小羊も彼らに示すことで教会をこの世の影響から守ろうとしました。教会にとっての除名問題も含めて一緒に考えましょう。

2018年6月16日

🔶説教題:霊的戦いと聖霊

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:ネヘミヤ2:9−18、3:33−35

 

 クリスチャンにとって霊的戦いという言葉は聞くことがあると思いますが、それが自分とどう関わっているかあまり考えることがないかもしれません。しかし、聖書を読んでみると、決して人ごとと無関心でいることができないことに気がつきます。実際、悪霊のために苦しんでいる人は結構いるのです。しかし、悪霊の働きと自覚していないで攻撃を受けている人となれば、全員該当するはずです。それならば、その実態を理解し、対策を知ることは大切なことです。そのことを今日は学びます。

2018年6月9日

🔶説教題:神の前に豊かになる

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:ルカ12:13〜21

 

 イエスのたとえ話の中に、「愚かな金持ち」のたとえ、があります。お金に執着しても死んでしまえばおしまいだ、といった教訓話ではありません。命の話をしているのです。天国へ行くことのできる生き方と、そうでない生き方です。イエスはそれを神の前に豊かになることと教えます。私たちは、神から恵みをいただき、多くの恵みに溢れているのです。それを感謝すること、そして、その恵みを他の人に分け与えることが肝心です。

2018年6月2日

🔶説教題:神の国は力にある

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント4:16〜21

 

パウロは、自分に倣う者になれと語ります。それは、神の力がその人から出てくることを意味してました。私たちが理解しなければならない福音は、言葉だけのものではありません。そこには、聖書に書かれている通りに、現代でも神の力が現れるのです。クリスチャンの内に聖霊が宿り、その聖霊がその人を作り変え、その聖霊の息吹が新しい人に変えるのです。その証拠に、聖霊はその人を通して力強く働くのです。クリスチャンが理解して置くべき福音の大切な部分を学びます。

2018年5月26日

🔶説教題:私に倣う者に

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント4:8〜16

 

 クリスチャンは何を目指しているのだろう。事業で成功する人になることだろうか。王様のようになることだろうか。ローマ時代に迫害も無く、豊かで幸福である生活をコリント人は実現していたのですが、そこから行き過ぎてしまったのです。それに対して、パウロは自らが伝道して作ったコリント教会が、福音から外れてしまったことを看過できず、正常に戻すために、信仰の父である彼が、信仰のゆえにどのような厳しい生活をしてきたか、その悲惨さをコリントの人々の信仰生活と対比して描きます。自分だけが幸せであろうとしていないか、聖書に書かれたことと違って生きていないか、自分の信仰を見直すメッセージとなっています。

2018年5月19日

🔶説教題:忠実な管理者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:1コリント4:1〜7

 

 「神の秘めたる計画」という言葉が出て来ます。その内容が福音なのですが、私たちを救うためにはイエス・キリストを通して義とする方法しかありませんでした。そのことを人々に教える必要があります。ユダヤ人だけでなく、全ての人が救いのチャンスが与えれ、しかも、自分の善い功績で義と認められるのではなく、イエス・キリストの義により信じて救われるのです。しかし、パウロが作ったコリント教会には、パウロの教えを曲解する者も現れ、裁く者すら現れてしまったのです。今日の教会にも通ずる大切な話です。

2018年5月12日

🔶説教題:争いのない教会

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント3:16〜23

 

 教会の問題として、恐ろしいものは教会を破壊することのある争いです。悪魔は、人間観察からどうすれば争いが起こるか知っています。そして、聖霊が宿る教会を悪魔が攻撃するときに最も被害が大きいものが、争いを起こすことなのです。争いの原因は、憤り、怒り、恨み、嫉妬など、人間の感情から始まります。そして、イエス・キリストしか解決できないことを人間の力で行おうとする時に、問題は深刻になるのです。誰にでも起こる可能性がある、悪魔の攻撃に備えて聖書を学びましょう。

2018年5月5日

🔶説教題:神に喜ばれている

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:箴言29:18

 

 クリスチャンの目的は、キリストの御姿に似た者となることです。そのためには、神が見るように見ることができるかどうかにかかっています。それがどんな意味であるか説明します。ご一緒に、聖書が何と教えているか確かめてみましょう。きっと、役に立ちます。

2018年4月28日

🔶説教題:神の憐れみ

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:列王記上1:5〜10、38〜53

 

ダビデ王も老人になり、次の王を決める時がきました。それは、アドニアの暴走から始まります。アドニアを支持する者も出てきます。そこで、アドニアは王になれると確信し、宴会を開きます。ところがその宴会が終わろうとした時に、アドニアの企ても終わることになりました。ダビデ王が後継者としてソロモンを王としたからです。この物語の中にも福音が隠れています。ご一緒にそれを確かめて見ましょう。

2018年4月21日

🔶説教題:土台の上

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント3:10−15

 

 パウロの働きは、もっぱらキリストの福音を語ることでした。パウロの言うところの土台は、イエス・キリストのことだったのです。しかも、イエス・キリストを信じた人たちは、洗礼を受けてクリスチャンとして生きるのですが、それは教会での信仰生活となります。牧師などの指導があって、それぞれが成長していくことになりますが、指導者によって違いが生まれます。そして、再臨の日に土台の上に建てられたものが火で吟味されるのです。ここから考えて見ましょう。

2018年4月14日

🔶説教題:神の畑、神の建物

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント3:1−9

 

 パウロは肉の人と霊の人と二種類の人の違いを話します。このことは、クリスチャンにとっては重要なことです。教会でも時々耳にしますが、その意味が今ひとつわかりにくいのです。今回は、この当然知っておかなければならない大切なことを語ります。ご一緒に学びましょう。

2018年4月7日

🔶説教題:自然の人と霊の人

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント2:10〜16

 

 パウロが語る、自然の人と霊の人の違いを明確にします。自然の人とは、ただ生きている人のことで、他の動物と変わりません。プシュケーというギリシャ語は魂と訳されることが多いのですが、生きていることを表しています。これは、人間に限らず猫でも犬でも同じで、全ての生き物に共通するものです。しかし、イエス・キリストを信じ、福音をそのまま信じることができる人には、キリストの十字架の死が罪の贖いであることだけでなく、信じた人もキリストの死にあずかることができることと清めを経験し、そこに聖霊が吹き込まれるのですが、この聖霊がプネウマです。詳しくはビデオでご覧ください。

2018年3月31日

🔶説教題:我は復活なり

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:ヨハネ11:28〜44

 

 今年もイースターの時期となりました。イエス・キリストの復活の意味をご一緒に聖書から考えて見ましょう。イエス・キリストがどんな思い出何をされたのか、知ることは信仰を持つ者にとって大切なことです。早速、ご覧ください。

2018年3月24日

🔶説教題:成人に語る知恵

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント2:6〜9

 

 人間の中には天才や秀才と呼ばれる人たちがいます。また、国の支配者になる者、それも帝国の皇帝になるような究極の支配者もいます。賢者と呼ばれる人や芸術家として名を残すような偉大な人たちもいます。しかし、神様はそうした人たちではなく、普通の人や劣っている人すら召し出したのです。それは、この世界が始まる前から神様が人間のために定めた素晴らしいことをそれらの人たちに示すためだったのです。それは、人間などが決して思いつくようなことではなく、神様でなければできない特別なことで、それをクリスチャンに神の知恵として解き明かします。

2018年3月17日

🔶説教題:聖霊と力の証明

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント2:1〜5

 

 パウロが何にこだわっていたか、それが私たちとどう関わるのか。クリスチャンにとって何が一番大事なことかパウロがしたことから学びます。福音がどれほど重要かだんだん理解できると思います。

2018年3月10日

🔶説教題:誰も誇れない!

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント1:26〜31

 

 コリントの教会は、奴隷や貧しい信者が多かったようです。もちろん、有力者や貴族もいたようですが、奴隷のように無力で無学な人を救うことの方が、人間の優劣や努力によって義とするのではなく、神が人を義とするということが明白となるように、福音を聞いた者がイエス・キリストを信じて救われるという方法を取られたのです。キリスト教の真髄に触れるお話です。

2018年3月3日

🔶説教題:十字架の言葉

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:Ⅰコリント1:18〜25

 

 パウロが言う十字架の言葉は福音のことです。この福音を全世界のすべての人に宣べ伝えることがキリストの大宣教命令です。そして、2000年の間そのようにしてきたのです。現代の私たちも同じです。ところが、福音は聞いた人を滅びる人と救われる人に分ける力があります。この世の賢い人たちは十字架の言葉は愚劣であると言います。しかし、神はこの方法で人を救うのです。このことをご一緒に考えてみましょう。