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2019年11月17日

🔶説教題:選ばれた人

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:22:1〜14

 

イエスの譬え話から考察します。今までの流れの中で、同じ趣旨の話がなされます。ここで、特に礼服の話が出てきます。そこから、礼服の意味がなんであるか、考えてみましょう。

 

2019年11月9日

🔶説教題:捨てられた親石

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ21:33〜46

 

 旧約聖書から、イエスの物語まで話は一続きに繋がっていることを改めて知る箇所です。預言者がイスラエルに遣わされても、彼らは悔い改めて主に立ち帰ることをしようとはしなかったのです。主が来していた実を結ぶこともなく、主に彼らを見捨てなければならない決断をさせただけだったのです。彼らは多くの預言者を殺し、最後には御子イエス・キリストを殺してしまいます。宗教家もイエスを見誤ってしまうのです。

2019年11月2日

🔶説教題:神に帰る心

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ21:23〜32

 

 祭司長たちは、イエスに詰問します。宮を荒らされたと思い、腹を立てていたのでしょう。そこで、イエスに何の権威でこんなことをしたのか、誰が権威を授けたのか、と「権威」について問いました。この権威の問題を一つ取り上げます。次に、譬え話から、悔い改めた者が救われる意味を考察します。私たちへの主の愛がここでもはっきり分かるはずです。

2019年10月20日

🔶説教題:神がいられない神殿

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ21:12〜22

 

イエスの宮清めがあっても、祭司も宗教家もイエスに対する無理解があり、彼らの宗教が、まさに神が立ち去ってしまう神殿を生み出してしまいます。これは旧約聖書の預言者の予言の成就なのです。そして、小さな者が自分自身と重なる時に、主が義とすることのできる者がこの小さな者である事を確認します。大変興味深い内容ですから、ぜひご覧ください。

2019年10月6日

🔶説教題:貧しい王様

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ21:1〜11

 

 メシアはエルサレムに子ろばに乗って入場します。それは、旧約聖書の預言通りでした。それは、猛々しい馬に乗って来る戦いの王ではなく、平和の王であることを意味していました。これは、イエスが十字架で私たちを贖って、神と和解させてくださることによって生まれる平和です。いよいよ、イエスの十字架への道が始まったのです。この聖書箇所の隅々にイエスがメシアであり、貧しい姿であったがそれこそが預言されたメシアの姿だったのです。

2019年9月28日

🔶説教題:主よ、憐れんでください

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ29〜34

 

 小なる者が救われる、という主の教えは、なかなか弟子たちにも理解できなかった。その中で、二人の盲人が主に憐れみを乞う場面がこの聖書箇所です。「主よ、憐れんでください」この叫びは、叱られても止められてもやめなかった。そして、主は立ち止まり、深く憐れみ、盲人の目を癒してくださった。この中に、イエス・キリストの意味があります。大きくなりたいと願う者たちは、実は小であるからそう思うのです。それが宗教であれば、律法を完全に守って立派な行いにより義と認めてもらいたい、となるのです。しかし、人間の努力では義となれない悲しさがあります。唯一希望は、イエス・キリストがたとえ小なる者でも義としてくださるということです。このことを聖書から読み解きます。

2019年9月21日

🔶説教題:仕える者となる

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:マタイ20:17〜28

 

 イエス・キリストが弟子たちに理解させようと教え続けた、小さな者で良いという話がどうしても悟れない人たちの話が今日の箇所です。そして、イエスが異邦人に渡され、侮辱され、ムチ打たれ、そして十字架に架けられる、というイスラエル人には最もショッキングで耐えられないような話を主が語られました。クリスチャンが目指す生き方にも関わる重要な真理を少しでも理解できようにご一緒に考えてみましょう。

2019年9月14日

🔶説教題:先の者が後になり

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:マタイ19:27〜20:16

 

イエスが教えていることは、今日のクリスチャンにとっても重要なことです。当時のユダヤのファリサイ派や律法学者など宗教家が自分たちの功績を誇っていたことは明らかです。それは、小さな者と比べられ、この世の取るに足りないものや何の功績も無い者がキリストのゆえに救われることを宗教家たちは認めることができませんでした。このキリスト教の救いの重要な箇所をご一緒に考えてみましょう。

2019年9月7日

🔶説教題:富める青年

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ19:13〜26

 

 イエスのおっしゃる「小さな者」と富める青年のような「大きな者」の対比があって、律法を完全に守って、その行いによって報いのように永遠の命を得ようとする考えは強力で、それがイエスの救いの意味を理解する最大の障害になっています。どんな人も結局は罪人であり、罪人という意味は、神の掟を完全には守れないという意味になるので、神の憐れみにより、恵みで救われるしかない。その恵みを受け入れることができる人が「小さな者」なのです。考えさせられる箇所なので、ご一緒に真理を探ってみましょう。