ディボーション

kalakutaによるPixabayからの画像
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5月5日(日)

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

ガラテヤ3:26

 

クリスチャンが神の子であるというのは、聖書の主張です。ただ、ここでは、「キリスト・イエスに対する信仰によって」神の子であると言っていますが、ヨハネの福音書も同じような言い方です(ヨハネ1:12)。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」(ローマ8:14)とも書いてありますから、信仰だけでなく、「聖霊に導かれる人」という特別な条件もつけられています。それは、「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました」(ガラテヤ4:6)とありますから、この聖霊によって「アバ、父」と私たちも天の父を呼ぶことができます。これほどの素晴らしさは、他にありません。神の子であることが確信できれば、人生は自ずと良くなります。そして、御子から多くを学ぼうとする意欲も湧いてきます。神の子であることがその人の信仰を強め、父なる神様への愛を深めることになります。しかし、このことの真の意味は、天国へたどり着いた時にはっきりします。今は、自分が誰であるかを心に刻み、それに相応しい信仰生活を送りたいものです。

 

Armin ForsterによるPixabayからの画像
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5月4日(土)

ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

ヘブライ9:26b~28

 

キリスト教の真理は、決して難しくありません。誰にとっても理解できる分かりやすものです。今日の聖句を読んでみても、しっかり読めば意味がわかります。イエス様が十字架にかかられたことは、やはり、私たちを罪から救うために、いけにえとしてご自身をささげられた姿なのです。これ以外に罪から救う方法がなかったので、イエス様が天を降って人の姿になり、現れてくださったのです。私たち人間は必ず死にます。それはただ一度です。そして、その後に裁きを受けることが定まっています。キリストは多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられました。復活された主は、多くの証人を残して昇天されました。そして、二度目に私たち人間のもとへ来られるのは、十字架にかかるためではなく、主を信じて再臨を待っている信仰者のために、救いをもたらすために現れてくださるのです。これは、難しいことではありません。誰でも、理解できることです。つまり、主イエス・キリストは再臨されるのです。それも、万軍の天使を従えて、信じて眠りについた者も目覚めさせて、生きて再臨を迎えた人たちと共に天へ連れ帰るのです。救われる者は自分の目で主を見ます。その喜びは筆舌に尽くし難いものです。長い年月を信仰を持って主に忠実に生きてきたクリスチャンにとっての最大の勝利の日となります。そのことが聖書に書かれているのですから、信じて主を待望しましょう。