ディボーション

Jacques GAIMARDによるPixabayからの画像
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2月3日(金)

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。

ヨハネ16:33

 

それぞれの人生は、結局一人で頑張って行かなければならない。思い出してほしい、初めて小学校へ行った時、どうだったろう。楽しくてしょうがなかっただろうか、それとも行きたくないと駄々をこねただろうか。学校に行くのが嫌でしょうがなかった人と学校が楽しくてしょうがなかった人では、何が違うのだろう。しかし、すぐに成長して大人になってしまう。それまでの間にいろいろなことがあっただろうが、一番驚くことは、その間に自分のイメージができてしまうことだ。でも、まだ大人ではない。社会人になって世に出て行く時に、一番必要なことは勇気だ。それまでの準備期間に何かを学び、人の中でどうやって生きていけばいいかを訓練してきた。しかし、そこには、先生がいて、教室があってクラスメートの数はせいぜい多くても40人程度だった。それが、先生もいなければ、クラスメートもいない社会へ放り出される。そこで、神様に自分が正しく生きてみせることができるかどうか。そのためにも、必要なことは、自分の中にある怖気付く弱い心をなんとかしなければければならない。すぐに逃げ出したくなるかもしれないが、そこを踏みとどまって、勇気を出すことだ。残念ながら、イエス様もおっしゃったように、この世には苦難がある。誰でも、避けることができない。苦難につまづき、人生を台無しにしてしまう必要などない。失敗しても、勇気があれば、次へ向かえる。苦難のせいで自信を失う必要などない。なぜなら、この世に勝利したと主は、はっきりあなたに語っているからだ。あなたは、一人ではない。主イエスがいつでもあなたのパートナーとなって共にいる。あなたは、主の命令に奮起して、勇気を出しなさい。目の前にあるこの世の苦難に怖気付いてはいけない。方法は一つ、勇気を出しないさい。あなたと主は一つなのだから、主が「わたしは既に世に勝っている」と言われたのなら、あなたも世に勝っているのだ。そのことをはっきりさせるためにも、勇気を出しなさい。乗り越えらない苦難などないのだから。だから、勇気を出せば、生きていける。

 

Chathura Anuradha SubasingheによるPixabayからの画像
Chathura Anuradha SubasingheによるPixabayからの画像

2月2日(木)

主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。

Ⅱペトロ1:3

 

ここに書いてあることは、あなたに起こったことなのです。少し難しく感じるかもしれませんが、人が救われるということは、例えば雪山で遭難している人が救難ヘリに吊り上げられて、九死に一生を得るような状況を想像すれば良いのです。その救われた人は、自分の救いのために何をしたでしょう? 何もしなかったのです。いや、できなかったのです。ただ、救助隊員が全てしてくれたのであって、我が身をただ任せていただけです。キリスト教の救いもまさにそのようなものなのです。ですから、恵みの宗教なのです。そもそもが、私たちは罪人だったのですから、神の憐れみによらなければ救われないのです。それが分かれば、クリスチャンは今までのようには生きていけません。悔い改めて、キリストの教えの通りに生きていこうと考えます。しかし、自分の力では無理なのです。ですから、主イエスが神の力によって、命と信心とに関わる全てのものを、私たちに与えてくださったのです。救われるために必要だからです。ここまでは、納得が行きます。問題は終わりの行です。召し出した方を「認識させることによる」とあります。つまり、主イエス・キリストを認識することによって、私たちは救いに必要な神的なもの全てをいただいているのです。これが、クリスチャンを満たしているのです。クリスチャンから出てくる聖霊の賜物も聖霊の実もキリストによるのです。あなたは、自分でどう感じるかではなく、すでに自分の内側に生命と敬虔に必要な全てが贈られて内なる力となっているのです。ですから、信仰が薄いと言われてはならないのです。無いなら仕方ありませんが、キリストに贈られて持っているからです。ぜひ、祈りの時間を増やして、霊的に覚醒させていただきましょう。自分の内にあるキリストの贈り物が、キリストの召しに応えて献身したあなたには、キリストがわかるので、完全な者、聖なる者になれる力が自分の内にすでに与えられていることも分かるはずです。ですから、まだ信仰が足りないからとは言えないことを覚えておきましょう。素晴らしい主の救いは完全なのです。