ディボーション

StockSnapによるPixabayからの画像
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3月20日(水)

主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神、主、死から解き放つ神。

詩編68:20、21

 

私たちは長生きしたとしてもせいぜい百年にすぎません。しかし、私たちの神は永遠の昔からおられるお方なのです。その時間の差は圧倒的で、到底人間が神を全て理解するなどできないのです。その神はあなたを創造された主ですから、あなたを大切に思ってくださいます。初めの人間であるアダムが罪を犯したために、私たちまで罪の呪いの中で生きていかなければなりませんが、イエス・キリストが救いに来てくださったので、呪いは解かれ、罪からの救いも実現したのです。それでも、私たちの弱さは相変わらずで、今は大丈夫であっても、次の瞬間悩みの中に落ち込むことも珍しくないのです。それらが皆罪に繋がっていることも否定できません。その証拠に、私たちは自分の力でなんとかしようともがくのですが、まるで底なし沼に誤ってはまってしまった人のようになって、もがけばもがくほど泥沼に沈んで行くのです。もし、神が助けてくださらなければ、この底なし沼から出ることはできないのです。神の助けは明瞭で、岩であるキリストの上に立たせてくださいます。つまり、キリスト無しには誰も救われないということなのです。自分に囚われていると狭い独房に入れらている囚人のように、独房の中をグルグル回るいるだけで解放がありません。自分から目を離してキリストに集中するなら、驚くほどはっきりと解放があります。悪魔は、そのことを知っているので、人間を騙そうと攻撃します。それは、肝心な時に祈れなくなったり、神やキリストを忘れてしまうことに現れています。そうなると、恐ろしいほど落ち込むことになります。なぜ、こうなるかと言えば、御言葉の力を軽視しているからです。御言葉は霊であり命なのです。半端ではない力が秘められているのです。神はあなたを放って置かれるようなことはしません。毎日、あなたを担って、救ってくださるのです。これは、聖書に書かれているので真理なのです。あなたは、難しく考えすぎるようです。それは、真理からそれていく道です。自分の考えを優先すると危険なことだってあるのです。ですから、まずは今日の聖句を身につけましょう。あなたが自分ではうまく生きることができないと嘆くような日も、実は、あなたは主に担われているのです。それなのに、主の手を振り払って、自分で困難な道を歩こうとすれば、すぐに倒れてしまうでしょう。倒れてから主に起こされるよりは、はじめからイエス様の車の助手席に座っている方がはるかに良いのです。そんなことは申し訳ないと思いますか。やっぱり自力で頑張るべきだと思いますか。それなら、今日の聖句をもう一度読んでください。そして、書かれた通りにするのです。感謝が溢れ、主を讃えることがあなたのすることです。

 

CouleurによるPixabayからの画像
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3月19日(火)

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように、あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。

詩編67:2、3

 

私たちが祝福されていることは事実です。教会に籍をおくようになると、祝祷という言葉を聞くようになります。これは、礼拝などで定型の祈りとして何度も耳にするものです。その中で、神が御顔を向けてくださるように、という言葉が祝福を象徴的に表しています。私たちが祝福されているという事実は、個人的に生活が楽になるとか恵まれているということだけの話ではありません。「道」というのは、「キリスト教」と置き換えても良い言葉です。「福音」という方が今ではより良いでしょう。というのも、福音をすべての民が聞き、救われて、神を礼拝するようになることが目標となっているからです。ですから、教会は福音を伝える機関であり、それによって救われた人に洗礼を施し、クリスチャンとして成長し、キリストに似たものへと変えられることを手助けするものなのです。ですから、私たちは聖なる者へと変えられることを神に期待できるのですが、信仰は何もしないでおくと弱くなってしまうものなので、個人的に神との交わりが必要になります。それは、難しいことではありません。今日の祈りの通りにすれば良いからです。主の御顔の輝きを向けられた人は、信仰が燃え上がり、じっとしてはいられないのです。このような御言葉を自分の祈りにできる人は幸いです。