ディボーション

1月20日(日)

主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。

詩編9:11

 

私たちは、毎日同じことの繰り返しだと退屈だとかつまらないと言い出し、少しでも困った事が起こると不安になり、文句を言い出す。クリスチャンでも同じで、祝福を欲しがるが、すでに祝福されているとはなかなか思わない。ところが主を知っている人は違っている。困難が押し寄せると、すぐに主に依り頼むのだ。その結果は言うまでもないが、最善の結果になり、主を賛美することになる。そこで、今、何か悩みを抱えている人は、主の元へ急ぐべきだ。詩編記者は、「あなたを尋ね求める」と表現している。つまり、形式的に助けてくださいと祈ればいいという事ではない。主を探す必要があるという事だ。お経か呪文のように、ただやみくもに祈る人がいるが、イエス・キリストは人格を持たれていたから、人間同士が相談したり、懇願したりするように、お会いする事ができるのだ。それは、キリストと全く同等の聖霊があなたに注がれたのだが、全く自覚がないかもしれない。その聖霊が確かに自分の内におられ、聖書でキリストにすがった人のように、私たちが聖霊にすがってお願いする事ができるという事だ。まず、静まって想いを自分の内におられる聖霊に向ける。そこにおられる事が感じられれば、聖霊に話しかけてみるのだ。イエス・キリストが重い皮膚病の人を憐れんで、優しく癒してくださったように、聖霊も同じように、あなたを憐れみ助けてくださる。決して、見捨てられる事がない。どうか、聖霊があなたを奇跡的に救い、助け、導き、願いを聞いてくださるように。アーメン

 

1月19日(土)

主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。

詩編8:2

 

8篇も圧倒されるような詩です。2節の言葉と同じ言葉が最後の10節に置かれて、この言葉で囲んでいるような詩です。はじめに2節を読んだ読者は、自然と心を神に向け、礼拝し始めます。そして、天の神を讃美します。「幼子、乳飲み子の口によって」(3節)と、わたしたちの弱さと、弱さゆえの信仰を象徴し、無力であっても、口ではかなわなくても、それでも敵に主が勝たせてくださることを語ります。そして、天に見える月星も、森羅万象も全て主の指の業である。それなのに、神は人間に心を留めてくださるのはなぜなのだろう。主は、人間に神の委任統治権を与え、この地を治めさせたのです。この地上の全てが神のものであり、神の支配の下にあります。自然のどこを見ても、主の御名が記されているのです。その力強さに圧倒されます。その主こそが、私たちの主であり神なのです。私たちも主にかたどって造られ、主の御姿を現す者なのです。たとえ、罪によってそのかたちが損なわれても、その神秘に畏怖し、主イエスによって神の似姿を回復できると信じているのです。このことのゆえに主に感謝いたします。(佐久間)