ディボーション

Capri23autoによるPixabayからの画像  梨の花
Capri23autoによるPixabayからの画像 梨の花

2月25日(木)

神の道は完全

主の仰せは火で練り清められている。

すべて御もとに身を寄せる人に

主は盾となってくださる。

詩篇18:31

 

私たちは完全ではないので、時々失敗もしてしまいます。人間関係で楽しいこともあるのですが、つまずくこともあれば傷つくことだってあるし、その逆に自分が人を困らせることだって起こり得るのです。それは、だれも望まないことですが、いろいろな人が集まるところでは避けることが難しいのです。それに、自分の性格や個性があるので、こうすればいい、ああすればいいというようなものでもありません。天国のように互いに愛し合う関係が成立していればいいのですが、この世では罪があるので、時にはひどい目に遭うこともあるのです。そこで、クリスチャンは、今日の聖句からヒントを得て欲しいのです。「神の道は完全」とあります。この完全に助けていただくのです。主が盾となれば、誰も自分を傷つけることはできません。たとえ、相手が悪意を持って攻撃してきても、主が盾となれば、自分にダメージを与えることがないのです。このように身を守るために、「御もとに身を寄せる人」となる必要があります。これは、その前の句に関係しています。「主の仰せは火で練り清められている」とあるので、主の御言葉のことです。この御言葉が示している道があるのです。それは、生き方とか考え方と言ってもよいのです。悩んだり、苦しんでいる人の特徴は、自分の考えに縛られ、自分の思い込みに固定され、そこから抜け出せずに苦しみの堂々巡りに陥っているのです。そうなると、人の助言も役に立ちません。人の言葉は完全ではないからです。火で練り清められた主の御言葉は完全なので、なんでも切ることのできる刀のようなものです。そこで、自分の思いや考えを縛っている鎖をこの刀で斬りつけ砕いてしまう必要があります。このようにして、解放して、さらにその人を主が保護することで、古い自分を裁き続ける恐ろしい攻撃から主が盾になって守ってくださるのです。ですから、今日の御言葉を読んで、主にこの通りにして欲しいと祈るのです。

 

Kerstin RiemerによるPixabayからの画像
Kerstin RiemerによるPixabayからの画像

2月24日(水)

あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

コロサイ2:12

 

人を分ける方法はいろいろありますが、バプテスマを受けた人とそうでない人に分けることができます。バプテスマを受けるかどうかは、本人の自由な意思で決まります。最も幼児洗礼をする教会では、後に堅信礼を受けて補っています。いずれにしろ、バプテスマを受けたことは、人間が想像するよりもはるかに偉大な奇跡なのです。なぜなら、聖書に書いてあるからです。今日の聖書箇所を読んでみれば、いかに大きな奇跡が起こっているか明らかです。しかし、人間は自分の努力で達成したことなら誇りとなって忘れることはないのですが、神様の恵みであれば、実感が伴わないので忘れてしまうのです。洗礼を受けた時は、感動したはずです。その時に、今日の聖句が実現しています。ただ、死者の中からのよみがえりは、神の力を信じる信仰によるのです。だから、上の句に焦点が集まりやすいのですが、下の句にもっと集中して欲しいのです。そのことがクリスチャン人生を大きく左右します。ファリサイ派のように厳しい律法を遵守しなさいと言っているわけではありません。信仰まで与えられています。あとは、何を信じるかだけです。この聖句をそのまま読めばいいのです。そして、自分はこのように信じているので、キリストと共によみがえらされたのだと認めましょう。よりよい祝福された人生を歩んでください。