ディボーション

Ruslan SikunovによるPixabayからの画像
Ruslan SikunovによるPixabayからの画像

 

6月21日(金)

自分の口で自分をほめず、他人にはほめてもらえ。

自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。

箴言27:2

 

日本人はだんだん質が落ちてきたのだろうか。器が小さくなってしまったのか、時々日本人の誇りはどこに行ったのかと、考えさせられる事がある。確かに、いつの時代にも、何を考えて生きているのかと、人の言動に呆れる事があるだろうが、「自分の口で自分をほめず」との箴言は本来の日本人の常識であったように思う。「他人には褒めてもらえ」というのも、他人に褒められるような立派な人になれと教育されたように思う。自画自賛という言葉があるのだから、自分の唇で自分をほめる人はいるのだろう。そんな人が自分の上司になったり、高い地位につくならば不幸だ。その人は、外国人にほめてもらえるような人になるべきだ。利害関係もなく、人物本位で、しかも辛口の採点で評価してもらうのが良い。それでも、ほめられるなら、これは本物で尊敬に値する。ただ、クリスチャンは、ほめられると危険を感じ、居心地が悪くなる。自分が高慢にならないかと不安になるのだ。神様はいつでも見ておられるのだから、自分の心の中に少しでも自分をほこる気持ちやたかぶりが生じてないか。主へのへりくだった思いが、どこかに消えてしまうのではないかと気遣う。良いことをした時には、神様への奉仕だと考えよう。そして、特に、唇には気を付けることだ。

 

6月20日(木)

だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

Ⅰコリント4:16

 

クリスチャンになる以前と以後では驚くほど何もかも違っています。ただ、そのことがもっぱら霊的であるので、気が付かない人も多くいるのです。「外なる人」は、生まれたままの人、古い人、など言い方は複数ありますが、意味はほとんど同じです。これは、キリストの十字架上に釘付けにしたいものなのです。一方、生まれながらの私がキリストと出会って、救われたなら、新しい「内なる人」が誕生します。この内なる人は日々新たにされて行くのです。しかし、それと反対に、「外なる人」は衰えて行くのです。確かに、70年も生きれば、歳をとり、肉体的に衰えて行くわけです。それで落胆する人はこの世では多いのですが、クリスチャンは、聖霊が宿り、「内なる人」がいるのですから、落胆する必要はありません。ただ、私たちが求めているのは、キリストのご品性です。それは、聖霊の実であるのです。内なる人とも当然関係があります。クリスチャンの内面は、日々新たにされる「内なる人」が特徴です。信仰を持って変化にも対応していきましょう。