ディボーション

5月17日(火)

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神の言葉によるのです。

Ⅰペトロ1:23

 

クリスチャンになるということは、聖書的には新しく生まれることです。その仕組みは、もっぱら神によるのですから、理解できなくてもかまいませんが、書かれた神の御言葉は信じなければなりません。面白いことに、国籍も人種も民族も関係ない、性格や能力にも関係なく、信じることができる人がいるわけです。イエスは、心を土地に譬えて良い土地だけが良い実りがあることを説明しています(マルコ4:1~9、13~20)。イエスは他にも「成長する種の譬え」(マルコ4:26~29)を語りました。ペトロは、神の言葉を朽ちない種と言い表しました。こうした譬えは、聖書の言葉がただ印刷された活字で、生きていないと思ったら、大間違いだ、そうではなく、生きているのだ。それは、種が死んでいるように見えるのに、いったん土に蒔かれると途端に命が活動しはじめて、想像を遥かに超えた実を結ぶのだ、御言葉には種のような不思議があると言いたのです。そこで、私たちは、信仰によって良い心を耕すことが必要ですし、御言葉を読んで種を蒔く必要があります。そして、信じるのです。信仰と祈りによって、聖霊の雨が降ってきて、種は発芽し、瞬く間に成長して花を咲かせ、実を結ぶのです。これは、あなたがクリスチャンとして成長することを教えています。あなたは、見事に実りある者に変わっていくのです。あなたは、きっと好きな聖句があると思います。その聖句があなたの成長に関わっているはずです。暗記して種を蒔きましょう。イエス・キリストを信じて心を耕しましょう。祈って聖霊の雨を降らせていただきましょう。キリストに似た者に変わっていくのです。

 

5月16日(月)

わたしは福音を恥とはしない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで進行を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

ローマ1:16、17

 

高尚な哲学や高度な倫理など、人の救いに関してギリシャ人には、福音は物足りないものであったのです。簡単だからです。つまり、イエス・キリストを信じたら救われる、ということだけだからです。人間の側が救いにふさわしく善などの功績を立てることは、最低限要求されているはずだ、と考えるのは理解できるのですが、問題があって、誰一人そんなことはできない、不可能だということです。全ての人が罪人なので、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」(ローマ7:19、20)と、書かれている通りなのです。この罪の問題さえなえなければ、まだ人間の善への努力は報われるのかもしれませんが、「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ3:10)と聖書は明言します。「福音には、神の義が啓示されている」とは、当然で、私たちが知っている通りに、キリストの十字架の死、復活、昇天、といったイエスの出来事が、神の義を啓示しています。神は、人ができる方法で救おうとされたのです。罪と死と悪魔に勝利して、神の子となって天国に入ることを可能にする唯一の方法として、御子の犠牲を許されたのです。奥義は「信仰」です。神の御言葉を信じることです。罪人なので悟りが必要ですが、それは聖霊によるのです。しかし、聖霊が働くためにも信仰が必要です。また、聖霊のバプテスマを受けるのも信仰です。こうした救いの方法は、信じて可能になるのです。どんな人でも信じることはできるのです。難しく考えてはいけません。祈りも言葉にした信仰です。神が人間を救うために決めたことは、聖書に書かれています。ですから、御言葉を信じるというのです。神様が決めたことが正しいことです。その正しいことを信じ、実現させる人が正しい者なのです。正しい者は信仰によって生きるのです。