ディボーション

5月18日(火)

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に叶うことが行われますように。」

マルコ14:36

 

高名な神学者のティリッヒは、「見ゆるところにかかわらず」と摂理信仰を語りました。見ゆるところでは、暗い力が支配している。にもかかわらず、神は愛を持ってこの世界を支配していることを信ずるのです。摂理信仰と言われるのは神の愛の支配は見えるものではなく、信仰の対象であるからです。十字架への道は普通なら運命として受け取られるところです。しかし、イエスはむしろ摂理として受け取ります。彼は「できないこと」のない全能な神の支配、しかも愛の支配を信じていたのです。だから、「この杯を取りのけてください」と祈ります。しかし、それゆえにまた、十字架への道が避け得ない道であることを知ったとしても、イエスはやはりそこに神の支配、神の摂理を見るのです。そこから「御心のままになさって下さい」という祈りが出てくるのです。

 

5月17日(月)

このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心に中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

ガラテヤ4:6

 

天の父は、愛の神です。人間の父には色々あって、人間の限界があります。しかし、天の神は主と呼ばれるように、この世界の創造者であり、真の支配者であり、全能の神なのですが、それだけではありません、愛の神であるのです。全ての人間が罪人であることは明らかなのですが、神は罪は憎みますが、その人間を愛しているのです。そこで、その罪人である人間を救うために御子イエスを派遣されたのです。主イエスは十字架にて死にましたが、それはイエスを信じる者の罪を贖うためで、神の自己犠牲だったのです。この自己犠牲こそが神の愛なのです。天の父は、人間の罪の問題をこれで解決されただけでなく、完全な救いを完成させるために、信仰で義とせられた人たちに聖霊を送られたのです。この聖霊は人の内に宿り、新しい命となり、その人を神の子とするのです。その証拠に、聖霊は「アバ、父よ」と呼ぶます。これこそ、私たちが本当に神の子としていただいた確証なのです。すぐにはピンとこないかもしれませんが、間違いなく、あなたは神の子となって、天の父の愛の中に生きるのです。主から与えられている信仰を使ってください。神があなたの天の父なのですから、何を思い煩う必要がありますしょうか。喜んで、天の父に愛されて生きてください。