ディボーション

MelanieによるPixabayからの画像
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2月23日(金)

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

ローマ14:17~19

 

宗教の本質を見失うと、人を容易く裁くことになります。それは、危険なことなので注意が必要です。例えば、聖書では食べ物のことや「特定の日を重んじる人」がいます。ローマ書を読むと、宗教につきものの、ある日を重んじたり、菜食のように特定の食事でなければならないとすれば、当然、守らない人を裁くことになるのです。ただ、人間というのは、何かにこだわる人がいたり、逆に何にもこだわらない人がいるのです。それが人間の特性で、何かを特別視して、それを守ろうとするのです。それ自体を批判するのでなはく、何をするにも主のためにすることが肝心なことなのです。「神の国は、飲み食いではなく」と聖書に書いてあることを覚えておきましょう。「神の国は、・・・聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」。このことを知っている人は、人を裁くことがありません。このような人が神に喜ばれ、人に信頼されます。私たちが心がけるのは、何を食べたり飲んだりするかではなくて、クリスチャンとして平和や互いの向上に役立つことを追い求めるのです。

 

VĂN HỒNG PHÚC BÙIによるPixabayからの画像
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2月22日(木)

怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

箴言16:32

 

生まれつき気の短い人は、ご苦労様と言いたくなるような大変な人生を歩むことになります。短気な人は、損すると言われていますが、その通りなのです。しかし、生まれつきなので治すことは至難の業なのです。昔は江戸っ子は気が短いと言われるほど、せっかちでモタモタする人を許せないのです。気が短い人ほど感受性が豊かなのだ、と言ってみても、所詮は気休めで、後悔することが多いのです。聖書に知恵を探ると、今日のような聖句が出てきます。つまりは、怒りを遅くする者が良いというわけです。怒りは勝手に出てくるのでどうしようもない、と言いたくなるでしょうが、短期を起こして失敗することは、必ず後悔につながるので、やはりなんとかしなければなりません。今日の聖句の下の句を見てみると、「自分の心を治める者」と出てきます。これはどのようなことでしょうか。何が起ころうが短気をおこなさないように自制できる人、ということです。これは、相当心を鍛えた人でなければできそうもありません。とりあえず、よしこれからは自制しよう、と思ってもそれだけでは無駄なのです。何か、真剣に考えて手立てを考えて講じなければ、自制などできるはずがありません。ただ、クリスチャンは神様にお祈りすることができます。信仰の祈りは聞かれます。その代わり、何かを犠牲にしなければならないかもしれません。自分のこだわりを捨て、自分の考えうあ価値観を絶対化しないことです。この世界には色々な人がいるのですから、いちいち気に入らないなどと行っていたらキリがないのです。生まれも育ちも違い、個性も能力も違い、その背景も大きく違っていれば、自分と同じであるはずがありません。そこで、目指すのが寛容です。これは、聖霊の実です。聖霊に服して実を結ぶ者としていただき、特に寛容を身につければ、自分の心を治めることができるようになります。神様の具体的な助けをいただきながら、私たちは驚くほど変わって行けるのです。