7月10日(木)
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ヨハネ1:12
キリスト教の救いは、思いもかけない結果を約束しています。つまり、罪人が罪赦された、ということだけではないのです。それでは、罪赦された人、と言われるだけです。ところが、救われた人は、神のこどもとなる特権を与えられたというのです。しかも、正確には、「この方を受けれた人々」そして、「その名を信じた人々」という説明です。あなたはどうでしょうか。イエス・キリストを受け入れていますか?それは、イエス・キリストという名を信じることです。これなら、クリスチャン全員に当てはまります。しかし、さらに注意して読むと、「神の子どもとされる特権をお与えになった」と言っているのです。与えられるのは特権です。中身は「神の子どもとされる」ことです。では、いつ神の子どもになっているのでしょうか。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」(ローマ8:14)とありますから、聖霊に導かれて信仰の道を歩んでいる人のこととなります。ですから、聖霊のことを考えないで自力で生きるのはよくありません。内住の聖霊が生きて働かれていることを認め、聖霊の導きに従うと決めることです。聖霊に祈ってみることも良いことです。自分がわかるように聖霊に導いていただき、その導きに従えるように祈るのです。神の子がこの世に生きていることに意義があります。きっと素晴らしいことが待っています。神の子であると自覚して生きてみてください。
7月9日(水)
正義を行う者、まっすぐに語る者、強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを受け取らない者、耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて悪いことを見ない者、このような人は、高い所に住み、そのとりでは岩の上の要害である。彼のパンは与えられ、その水は確保される。
イザヤ33:15、16
選挙が近づくと、立候補者にこの聖句を読んでもらいたいと思います。残念ながら、権力闘争の中で悪いことをしてしまうのは、仕方がないと思っている人もいるのです。ダビデ王の物語を読むまでもなく、誘惑はいつでも権力者の側にあるのです。では、クリスチャンの私たちは、どうでしょうか。この御言葉の通りにすることは良いことであると分かりますが、相当の勇気と力がないと難しそうだと分かるからです。良い人だけの世界なら、良いのと思う気持ちはよく分かります。しかし、ニュースは悪いことばかり伝えています。ですから、クリスチャンが聖書の基準を知っているので、本来は世の模範となることが期待されているのです。この世の人たちは、まさかこのように厳しく神様が人間に求めているとは知らないのです。しかし、本当に厳しい要求でしょうか。この戒めに従っていれば、主は確実にこの世でも成功し、食糧も事欠くことはないし、安全な所に住めるし、神様に近い高い所に住むことができるのです。実は、信仰者が目指しているところがここに描かれていて、クリスチャンの踏ん張りどころがどこにあるかを教えているのです。この世の権力者におもねるのではなく、天の王の王に従うことが私たちの願いなのです。