ディボーション

2月27日(金)

イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、二人は目が見えるようになった。

マタイ9:28~30

 

この物語にはさらに前の状況が書かれています。二人の盲人は「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来たのです。そして、上記の聖句へと繋がります。さて、あなたは何に気がつかれたでしょうか。まず彼らは自分たちが盲人であることを認識していました。そして、主に憐れみを請いながらついて来たことです。当時のユダヤ人たちはイエスを目で見ていると思っていたでしょうが、キリストであることが見えませんでした。だから、見えるようになりたいとは思わなかったのです。謙遜にへりくだることができなければ見えるようにと願えなかったのです。さらに、盲人へのイエスの対応ですが、「わたしにできると信じるか」と聞かれました。つまり、信じることがことのほか重要なのです。その直後に、「信じているとおりになるように」と言いました。そして癒されて目が見えるようになったのです。もし、彼らが「本当にイエスは癒せるのか、癒せないのではないか」と疑っていたら、目は見えるようになっていなかったでしょう。信じたとおりになるのですから、はじめにイエスが「信じるか」と言われたことには大きな意味があったわけです。今も同じように、信じることが大切です。イエスに対して一体何を信じているのか、考えてみてはいかがでしょう。(佐久間)

 

2月22日(木)

愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。

Ⅰペトロ4:12

 

私が牧師になった年に大きな試練にあいました。その時、一人の姉妹が手紙を下さったのです。その手紙に書かれていた御言葉がこの聖句でした。このように牧師を励ます信徒がいることに深く感動しました。そして、事実励まされたのです。多分、私たちは兄弟姉妹の中に、試練にあって悩み苦しむ人を発見することがあるでしょう。その時には、聖書を開いて、主にうかがい、その人を励ます御言葉を見つけ、試練に悩むその人を力づけるのです。このような時の御言葉は不思議と心に入ってくるものです。そして、どうすれば良いのかわからず、八方塞がりのはずなのに行き詰まらないで道が開けるのです。人間的にはこれが正しい道だと思っていても、実は間違っていることだってあるのです。そんな時に、人間はなかなか神様に御心を求めず不満を溜め込んでしまいます。ですから、神様はその道を進めないようにするのです。本人はそれが試練と思ってしまうのですが、正しい道へと導きが始まっているだけなのです。そこで、このような時には静まって祈り、主に聞いてみるのです。そして、自分ではなく主が全てを決めてくださるように願い、ゆだねることです。心からそれができれば、自然と主への感謝が出てくるでしょう。(さくま)