1月17日(金)
主イエスは、ご自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。
Ⅱペトロ1:4a
クリスチャンの特権は完全なのです。それでも、その特権を十分に理解していないかもしれません。主イエスは、私たちに何をしてくださったのか、正しい理解が不可欠です。そうでないと、なんとなく洗礼を受け、なんとなくクリスチャンをやっています、という奇妙なことになります。今日の聖句を読んでみると、主イエスは、人となられましたが、「ご自分の持つ神の力によって」、つまり、神でなければできないことを主イエスが私たちにしてくださったというのです。それは、「命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださ」ったということです。つまり、人間としての自分の力では到底達することのできない、天国へ入るための標準、それは完全な義であるイエス・キリストに似た者となることです。それは、自然に生まれてきた人間が到達できるものではありません。どんなに頑張っても、キリストの足元にも及ばないのです。ですから、私たちが清い生活をしようとしても、そう簡単にはうまくいかないのです。しかし、主イエスがお与えくださる「命と信心とにかかわるすべてのもの」を私たちがいただいたのだろか。もし、頂いた感じがしない、ということなら、今すぐにも反省して悔い改めるべきです。聖書に書かれたことは、信仰者に成就します。なぜなら、聖書の約束なので、信じた人たちにとっては、主の御心が起こります。まさに、「命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいます。」とある通りになります。これがなければ、信仰者とは名ばかりの者となってしまいます。でも、あなたは、こうした主からの真実を知り、理解し、預言の成就を実現するのです。
1月15日(水)
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たこのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
Ⅰコリント2:9
あなたは想像力がたくましいだろうか。天国のことを考えたり想像してみたことがあるだろうか。小学6年生の頃、教頭先生が授業をすることになって、大変面白い話をしてくださいました。それは、江戸時代の庶民が地獄めぐりをするというお話です。クラス中が大笑いをしたり、ハラハラドキドキして、地獄とはどんな所だろうと想像力を膨らませたものです。その話があまりに面白かったので、覚えてしまい、母親や色々な人に話しました。母は、私が映画でも初めから全部覚えていて、それを全部話すので、面倒になり、途中で「もういい」ということになってしまうのです。ですから、ようりょうよく話すようにと注意されるのですが、自分にとっては、全部があって面白いので、話をはっしょって面白いところだけ話すということがどうにもしたくないのです。このことは、大人になって、牧師になると役に立つのかといえば、逆で、世の人はみな、要点は何か、と大切なところだけ教えろと思っているようで、聖書はこんなに面白いのに、と残念に思うわけです。しかも、この聖書箇所はこのように理解しなければならない、答えは一つであると決められていないので、自由に考えることができるのも素晴らしいのです。体力気力があれば、何時間でも聖書のお話をしたいぐらいなのですが、現代人は忙しいので、手っ取り早く3分以内で教えてくれ、というのは流石に残念に思うわけです。さて、今日の聖句を読んでみると、すごいぞ!!と歓声を上げたくなる箇所なのです。あなたがどんなに想像力が秀でていても、人間の想像能力を超えている、この世には存在しない未知なる領域のお話です。黙示録を読んで、新天新地の話を調べても、今日の御言葉があるので、見たこともない、聞いたことも、心に浮かんだこともない、素晴らしいものを神様を愛する者のために備えているというのです。つまり、天国へ行っても知っているというものがないのです。想像を絶する新しい世界に皆さんは入ることになっているのです。この世に存在するものは、すべて朽ちて行くのです。ところが、来たるべき新しい世は永遠に耐える世界なのです。知らない世界です。でも、救われて天国へ行くと、言った時にそれはこの世とは比べ物にならないぐらい素晴らしいところだろうとは予想しています。ところが、実際には、それをはるかに凌ぐものなのです。何もかもに驚き、有頂天になるでしょう。神様が備えられた新天新地は、地上では想像が追いつかないのです。それほどの最上のものがあなたのために天国に備えられていることを覚えていてください。嬉しいことです。