ディボーション

hartono subagioによるPixabayからの画像
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7月27日(土)

こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。

エフェソ1:15、16

 

キリストの新しい掟を守っている教会には美点があります。その一例が今日の聖句です。「あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していること」です。クリスチャンになれば、簡単にそうなるわけではありません。今までの生き方が残っているからです。品性においては、だいぶ改善の余地があります。それを補うのが信仰なのですが、それまで正しい信仰を知りませんでしたから、急に信仰と言われてもよくわからないのです。教会では、幼子のようにな信仰と言われるので、余計に戸惑うばかりです。しかも、どうも、教会用語があって、普通に話していても実はキリスト教特有の意味があるのです。ですから、慣れるのに時間がかかるのです。ましてや、品性は聖霊の実であることを忘れてはいけません。クリスチャンと未信者の違いは、聖霊を受けているいないかという点です。ですから、正常な信仰を持っていれば、聖霊の実を結ぶようにできているのです。そのためには、エフェソ1章にすでに出てきた福音を理解することです。救いの仕組みを福音として教えられたのですから、そこから外れてはいけないのです。福音を信じて御言葉を学んでいけば、「主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛している」ということになるのです。それがならないというところに問題があります。聖霊の働きを知らないのです。人のことを悪く言ったり、裁いたりすると「互いに愛し合いなさい」という主のご命令に逆らうことになります。それで、祝福を求めても難しいわけです。生活に問題があるのなら、自分自身を反省し悔い改めることが必要になります。クリスチャンは聖徒を愛して生きるようにできているのです。それは、信仰があるから実現するのですが、聖書を通して何をどう考えるかを知ることが必要になります。そして、律法を学者やファリサイ派が誤用し、汚したようなことにならないように、福音をよく理解することと聖霊に助けていただくのです。そうすれば、聖徒たちを愛する者になれます。

 

 

Michael und MaartjeによるPixabayからの画像
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7月26日(金)

この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

エフェソ1:14

 

なぜ、私たちが聖霊を受けているかということは、意外に言われていません。そのために、あまり気にもかけていないように見えます。しかし、聖書にははっきり書かれていて、「御国を受け継ぐための保証」とあります。クリスチャンが全員天国へ入るとは言われていません。ですから、私たちは油断してならないのです。かといって、行いによる義はないという教訓がありますから、気をつけなければなりません。まずは、聖霊で証印を押される、ということは神の印を受けることです。黙示録ではこれが重要なことであることは明らかです。そして、贖われるということは、キリストの命の代価で買い取られるという意味です。それは、あなたは自分自身のものではなくて、神のものとなったという意味です。ですから、神のものとして生きなければなりません。それは、堅苦しい難しいことを要求されるという意味ではありません。その逆です。聖書には「神の栄光をたたえることになる」と書いてあるように、霊的に新しい人として成長していくのです。最も肉の人もついてくるので、昔のままだと思う人もいます。しかし、内なる人という言葉があるように、贖われて、罪の赦しと清めを受けて、聖霊がその人の内に入ることができるようになり、新しい命に生きていると言えるようになっています。そこで、その新しい自分に聖書を読んで聞かせてみてください。どのような効果があるかは、聖霊にどれほど覚醒されたかにかかっていますが、良い方向へと向かうはずです。その結果、神に近づきます。神に近づくので、神も近づきます。そこで、この人は、神の栄光を見ることになります。ですから、賛美する者となるのです。それは、喜びにあふれることなので、私たちは自分が神のものとなったことを知ることになります。