ディボーション

David VivesによるPixabayからの画像
David VivesによるPixabayからの画像

9月25日(金)

復讐をしてはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

レビ記19:18

 

この聖句は有名な聖句ですが、キリストが新しい掟として「互いに愛し合いなさい」と定めたことと関わってきます。また、律法学者が第一の掟は何かを聞いた時に、キリストは「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい」と申命記6章から引用され、さらに第二の掟は「隣人を自分のように愛しなさい。」と、今日の聖句から引用されました。そして、キリストは「この二つにまさる掟はほかにない」とおっしゃったのです。それで、私たちは神様を愛して、隣人を愛することが最も重要なことだと知りました。世の中には宗教的な催しには非常に熱心なのに、人間を愛することには熱心になれない人が多くいるのです。ユダヤ人は、仲間の人間を愛することの方が宗教的な行事に参加することより重要だと考えるのだそうです。確かに、神様第一と言って、教会の働きに熱心なのに、教会員を愛することは全く考えていない人も出てくるわけです。隣人を愛することもクリスチャンの悩みになることもあります。特に教会員以外のノンクリスチャンに対して、困ることがあるからです。新約聖書になると、「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(Ⅰヨハネ4:21)と出てくるので、ガッカリする人も出てきます。つまり、自分の努力の範疇を超えてしまうからです。どんなに良い人でも限界はあるもので、それを偽ることはできません。ただ、「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされている・・・・」(同4:16b、17a )という私たちがやがて到達する霊的な状態になれば、肉的な思いが無いため聖霊が一緒になって働くので、隣人を自分のように愛することも可能となるのです。ただ、「復讐をしてはならない」とか「恨みを抱かない」ということができれば、隣人を愛することもできると覚えておけばいいのです。これは、嫌なことをする、敵のような人のことが想定されていますから、ハードルが非常に高いのです。それは、肉の人にはできないことですから、肉の部分が死んでいなければ達成できないことなのです。それをあくまでも肉でやり遂げようとするなら、教会の働きは熱心だが教会の人を愛することができない、という問題が明確になるだけです。教会の人を悪く言ったことがないか反省してみれば、自分の状態はすぐにわかります。イエス様の新しい掟は「互いに愛し合いなさい」というものですから、がんばるようなものではありません。霊の人になった人同士が自然に愛し合うことなのです。その部分で一生懸命になるのは良いことです。

 

Paul Henri DegrandeによるPixabayからの画像
Paul Henri DegrandeによるPixabayからの画像

9月26日(土)

父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

ヨハネ16:27

 

クリスチャンにとって大切なことは、主イエス・キリストをよく理解することです。それは、多くのメリットがあります。罪からの救いや呪いからの解放などは、救われる時に知ったと思いますが、洗礼を受けたのは、自分の意思ですから何か特別なことがあったはずです。それは、弟子たちの場合、イエス様を愛したことにあります。では、私たちはどうでしょうか。愛しています。もう一つ、イエス様は人として現れたのですが、イエス様が天から来られたことを弟子たちは信じました。では、私たちはどうでしょうか。信じています。この二つのことは、だれでもが信じるとは言えないことです。私たちは、言葉ではうまく説明できないかもしれませんが、心の深い所でイエス様を愛しています。愛は、愛によって生まれるのですから、はじめにイエス様が私たちを愛してくださったので、それによってあなたの心に愛が生まれたのです。でも、主は人間のように見たり会ったりできるわけではありませんから、霊的に理解しているのです。そのために、意識としてはあまりピンときていないかもしれません。しかし、信仰が進んで行くと、愛が心に起こり、その愛の力としか言いようのない理由で、私たちは信仰的に生きているのです。それも、老人になるぐらい長く続くと実に恵まれていたと分かり、しまいには父御自身があなたがたを愛しておられると言われなくても、すでに知っているのです。私たちは、愛されて初めて自分の存在に意味を持ち始めます。ですから、愛されることがなかったり、愛されることが少なかったりすると、たちまちうまく生きていけなくなるのです。ですから、霊的な父である天の神様が自分を愛してくださることは、私たちを美しく変えるのです。たとえ、私たちが弱さに負けて罪深い失敗をしても、また不調に陥っても、贖い主であるイエス様が私たちのために助けを与えてくださり、愛を無条件に与えてくださるのです。ですから、素直に悔い改め、立ち直って、イエス様の愛に報いて生きようと思えるのです。自分がどんな状態になっても、イエス様の愛は変わらず、そして父なる神様の愛も変わりません。その愛に捉えられているので、あなたは見事に聖なる者となって天国に帰るのです。