ディボーション

Terri CnuddeによるPixabayからの画像
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11月25日(水)

したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

ローマ9:16

 

信仰は役にたちます。今日も昔路傍伝道で知り合った方から電話がありました。二、三日前からその人のことを思い出してどうしているかと思っていたのです。そうしたら、やっぱり電話がかかってきました。このようなことが時々起こります。神様が知らせておられるのです。この人は、春頃から病気になられてお仕事もできない状態になっていたのです。それで、私のことを思い出して電話してきました。薬害で病気になったので、癒しをする人を知らないかと言うのです。それで、癒しの祈りをしました。このような時に、いつも感じることが今日の聖句です。神様が憐れみ深いので、人間を助けようとされるのです。その人が理解できる範囲で構わないのです。立派な信仰があればいいのでしょうが、たとえそうでなくても神様の愛はかわりません。主は、その人の救いをいつでも願っていてくださるからです。ただ、私たちが人間なので自分の考え方を変えられなかったり、いじけたり、コンプレックスをもったり、酷い目にあって傷ついたままだったりするので、主はありのままで受け入れ、癒し、愛し、再生してくださるのです。そのことが真実であることを今まで何度も見てきたのです。憐んでくださる神様に感謝いたします。

 

Rebekka DによるPixabayからの画像
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11月24日(火)

主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。

詩篇138:

 

どのような人でも長所短所があります。面白いのは、短所ばかり気にする人とまったく気にしない人がいることです。長所は放っていても自然と出てくるものなので、早く気がつき、それを伸ばすことに集中した方がいいのです。短所は、履歴書などを書くときに初めて気がつく人もいます。しかし、短所をそのままにしておくのは賢明ではありません。なぜなら、良い方向へ変えることができるからです。短所は自分人生の足を引っ張ります。それも肝心な時にマイナスの働きをするものです。クリスチャンになると、高慢が罪であることを教えられます。そこで、へりくだることが美徳だと勧められるのです。実は、今日の聖句のように理解することが肝心なのです。自分のことはもどかしいぐらいによくわかっていません。歳をとっても立派な人に成長していないのは、自分のことが見えなくて悪いところを直すことができなかったからです。つまり、短所克服については何もしてこなかったのです。それは、自分に問題があるのは分かっていても、本質的なところでは自分は悪くないと思っているからです。悪いのはいつでも他人だと決めつけてきたら人間は成長したり、成熟することができないのです。それどころか、老人になった時に一生かけて作り上げてきた自分が惨めな者であると気付かされるかもしれません。信仰はありがたいものです。なぜなら、今日の聖句のように神様を信じて安心できるからです。短所の克服も自分に任せないで、主に委ねます。だから、確実に勝利できます。自分で立派な人格者になりたいと思ってもなれるものではありませんが、クリスチャンに働く聖霊はその人にとって何が大切かを知っているので、確実に最善を尽くしてくださいます。それが恵みなのです。主が私たちに与えてくださり、私たちはそれを信仰でいただくわけです。ですから、どんな人も主を信じて「主は私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださいます」と告白しましょう。