
6月8日(月)
ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
ルカ12:31、32
神の国とはどんなものなのだろう。私たちは、たとえ死んでもこの神の国に入れると信じているのです。そして、今、イエスは「神の国を求めなさい」と言われました。しかも、「あなた方の父は喜んで神の国をくださる」と言われたのです。ここに書かれた御言葉を信じましょう。行き先がわかっていれば、死は恐ろしいものではありません。それよりも御子イエスも父なる神も私たちに神の国をくださろうとしているのです。なんと大きな恵みでしょうか。そして、この地上でも信仰者は、神の国を求めることが大切なのです。それは、この世で生きていく上で必要なものは誰にでもあるからです。それらをどうやって手にするのか、私たちはすぐに思い煩います。必要なものであればあるほど、思い煩うのです。しかし、神の国を求めて、神の国に生きるなら、そこには思い煩いがありません。神様が必要なものをご存知で与えてくださるからです。ですから、思い煩うのではなく感謝するようになります。神の支配に生きるクリスチャンになりましょう。思い煩わない人生はそれだけで素晴らしいのです。

6月7日(日)
若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いもののかけることがない。
詩篇34:11
信仰を働かすことは、とても重要なことです。不思議なことですが神の御言葉には創造の力があります。天地万物を創造した方法が神の御言葉だったからです。この世界には、科学でまだわからないことが多くあります。というより、ほとんど分かっていないのです。それでも、科学者の努力は神の創造の秘密にまで及んできました。それは、この世界を形作るものの根源、最小のものを突き止めたことです。分子や原子は知っていますが、さらに小さなもの、もうこれ以上小さなものは無いというところまでわかりました。それが素粒子です。その素粒子は、摩訶不思議なもので、人間の今までの常識は通じません。これが創造の秘密であり、神の御言葉で創造できた仕組みなのです。そこで、神の御言葉を信じるということが急に意味があることに気が付きます。「少しも疑わず、自分の言う通りになると信じるならば、そのとおりになる。」(マルコ11:23)そして、「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(同11:24)。このように書かれていたことを信じることができたでしょうか。いきなりは、無理です、と言うのなら、できることから始めてみましょう。そうすれば、今日の御言葉の意味がわかります。信仰の世界はあなたの生きている所です。ですから、楽しみに信仰によって生きることです。
