ディボーション

dae jeung kimによるPixabayからの画像
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7月23日(木)

その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。

ルカ9:42、43

 

この記事を初めから読む現代人は、これはてんかんの症状だ、脳の病気だ、現代のように科学が発達していなかったので、この病を悪霊のせいにしているのだ、と思うかもしれません。確かに、今でも癒せない病気はあります。全ての病気の薬があるわけでもありません。ただ、時代が進めば今は治すことのできない病気にも特効薬ができるかもしれません。病気は、人間を苦しめ、時には不幸にすることもあります。ですから、どんな病気も癒やされると良いのに、と思います。特に子供が病気になるとなんとか治して欲しいと誰もが思うものです。聖書を読むと、イエスはどんな病も癒した、とあります。その癒しの記事の一つが今日の箇所です。「汚れた霊」が子供を苦しめ、酷い目に遭わせていたのです。「イエスはこの汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった」というのです。父親の喜びはどれほど大きなものだったのでしょう。自分の子供が酷い病気で苦しむのを見ていて何もできないほど絶望する事はありません。なんとしても助けたいのです。そこに、イエスが現れました。どんな病気も癒し、悪霊すら追い出すことができる、と評判です。だから、なんとしてもイエスに頼もうと必死になったのです。汚れた霊は、その子をイエスに渡すまいと引きつけさせ、倒し、苦しませました。しかし、イエスは汚れた霊を叱り、この子供をいやされました。この一部始終を周りにいた人たちは目撃したのです。そして、「人々は皆、神の偉大さに心を打たれた」のです。この箇所が短い文章ですが、心に残りました。人間が不信仰で悪霊に子供が苦しめられていても何もできない。助けたいと思っていても、どうすることもできない無力を思い知らされます。しかし、神がそのような病を許しているのではないのです。汚れた霊が人間を苦しめ、喜んでいるのです。子供のような弱い者を病で苦しめるのですから、本当にひどいことです。神は、人間を憐れまれる優しいお方で、なんとか救いたいのです。ただ、悪魔が邪魔するので、簡単ではありません。本人が信仰を表すか、誰かが信仰を表して悪霊を追い出すのです。現代人にとってはとてもハードルが高いのですが、それでも、イエスにすがることができます。イエスの愛に希望を持って良いのです。癒しや悪霊追い出しの現場を目撃した人たちは、皆、深い感動を覚えます。神の偉大さに心を打たれるからです。このことは、現代でも起こりうることなのです。希望は決してなくなる事はありません。主は生きておられます。

 

 EradによるPixabayからの画像
EradによるPixabayからの画像

7月22日(水)

また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下におくためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。聞く耳のある者は聞きなさい。」

マルコ4:21~23

 

イエス様のお話しは、どれも考えさせられます。決して単純にわからせようとしていないと思われます。夕になって、部屋が暗くなってくると灯りが欲しくなります。その時に、燭台に火をつけるのが生活の習慣です。ですから、誰でも知っています。ところが、肝心のともし火を持ってきて、それで燭台に火をつけずに、ますの下に置いたりしません。ここでの升は、火を消す時に嫌な匂いがするので、火に升で火に蓋をするわけです。そうすれば、嫌な匂いを防げるわけです。それに、寝台の下に火を置けば、部屋を明るくする事はできずに、逆効果で暗くなります。これらのように、ともし火は燭台につけて部屋を明るくするためのものなのです。暗い部屋では、周りのものは何も見えません。しかし、燭台に火が入ると部屋中が明るくなり、そこにあるものは全て見えるようになります。このように、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない」と主はお語りになりました。暗闇の中に隠しておくことはできないというのです。「主よ、あなたはわたしのともし火、主はわたしの闇を照らしてくださる」(詩編22:29)とある通りです。さらには、「戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道」(箴言6:23)なのです。ですから、聖書で御言葉を学んだ者が、そのともし火を消したり、役に立たないように隠したりすれば、どうなるか。「隠れているもので、あらわにならないものはく、秘められたもので、公にならないものはない」とある通りなのです。「聞く耳のある者は聞きなさい。」