2019年10月6日

🔶説教題:平和を作る者

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:7−12

 

8福の後半部分を読んでみましょう。私たちは真面目なので、ついこれは徳目のリストだと思いやすいのです。しかし、マタイ5:7以降に書かれたことは、キリストによって救われる人のことを書いてあるのです。形式は旧約聖書の詩篇のようですが、誰がここに出てくるような救いを与えてくださるのかは書かれていません。聴衆の目の前で語っているイエス様こそがこのような救いを実現してくださるのです。この箇所をクリスチャンとして正しく理解しておく必要があります。ご一緒に考えてみましょう。

2018年10月14日

🔶説教題:塩と光

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:13〜16

 

有名な「地の塩」と「世の光」の話です。頑張って良い行いをして、その役割を果たすように、ということをイエスは言おうとしていたのではありません。この世の人々の間で、キリストはクリスチャンの中に生きて働くことを教えています。それなので、クリスチャンが何か良いことをするからではなく、神の圧倒的な力が内から外に出てくることをクリスチャンが妨げてはいけないということです。神の通り良き管になることです。

 

2018年10月21日

🔶説教題:裁判所に着いてしまう

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:17〜26

 

 イエスは律法をいい加減に守らなくても良いと教えている、とユダヤ人から危険視され始めます。そこで、イエスは、そうではなく、旧約聖書に書かれたことを完成するために来たのだ、と語ります。この箇所は、読み方を間違えると、律法をもっと頑張って守らないと天国へ入ることはできない、と理解してしまいそうです。しかし、人間の頑張りでは律法を完全に守って神様に義と認めていただけないのです。だから、イエス・キリストが来られて、十字架に架かり、罪の贖いを果たしてくれました。そして、死から復活してみせたのです。このことにより、私たちは、イエス・キリストが義となって、信仰を持ってキリストを仰ぐ者に恵みで義を与えてくださることを教えたいのです。メッセージをどうぞ。

 

2018年10月28日

🔶説教題:心を見る神

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ5:27〜32

 

 前回の続きです。私たちが自分に罪は無いと言い張る時、罪を無視して自己を正当化しています。なぜ、こうなるかと言えば、律法を規則のように考えるからです。規則を守っているからいいじゃないか、というわけです。ところが、神様は心の中を見ることができるのです。そこで、律法は規則というようなものではなく、人間は本来神様に似せて造られた存在なので、愛にあって生きる者であることを教えています。自分は愛の実現者であるということです。それなのに、愛ではない、正反対のことを平気でしてしまうのです。この理由を罪と言っているのです。だから、一旦、罪に染まるとキリストの血潮で洗い清める以外に清くなる方法が無いのです。それで、キリスト以外には救いがないということになります。規則だと思うから人を裁くし、守っていると豪語することになります。愛のことなどどこかに消えています。だから、キリストの生涯に現れた出来事は、杓子定規に人を規則で裁いてはいけないことを教えてくれます。