2019年6月1日

🔶説教題:見ても認めず

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ13:53〜14:13

 

 イエスを見てもキリストと認められない人。イエスの話を聞くのに理解できない人。聖書を読むのに真理がわからない人。こうした人が昔も今も同じように存在する。問題は、イスラエル人がイエスを受け入れなかったことと同じように、クリスチャンもイエスを誰というか、それがわかるかどうかは、福音が理解できているかどうかで判断できる。人を義とすることの難しさは、高名なヘンリー・ナーウェンのような人にでも、破綻が起こることからわかる。結局、イエスの示した愛に同じような愛を持って応えることが想像以上にはるかに難しいのだ。それは、神の愛を受けることの難しでもある。自分が変わらない限りそれはできない。段階的にでも神を愛せるのは、イエスによる。そのイエスが分からなければ、随分厳しく無謀なことを人間は行なっていることになる。

 

2019年6月8日

🔶説教題:安心しなさい

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ14:13〜36

 

 イエス・キリストの奇跡物語から学びます。五千人の給食とペトロ湖を歩く、そしてゲネサレトで病人を癒す、この三つの物語から真信を学びます。イエス・キリストがいかに私たちの希望であり、たとえ信仰が弱くても、見捨てないお方であること、ただ、「助けて」と叫べば、主は手を取って救ってくださるお方であることを確認しましょう。

 

2019年6月15日

🔶説教題:真の清め

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ15:1〜20

 

 これだけ宗教離れと言われ続けても、宗教は消えていません。テレビを見ても神社やお寺が普通に出てきます。芸能人がこぞってお参りする様子を平気で放送しています。おみくじもお守りを買うのも大好きです。これは文化なのでしょうか。どうも人間は宗教が好きで、特に人間の考え出した宗教の決まりごとや儀式に伝統が殊の外大切にしたがるようです。イエスも律法学者やファリサイ派の人たちと対立します。弟子たちが食前に手を洗う儀式をしなかった、とイエスを批判するのですが、イエスはそれに敢然と答えます。これらは、人間の汚れを清めることができるのは人間の伝統ではなく、イエス・キリストの十字架の犠牲によることに繋がっています。真の清めは、イエス・キリストの十字架で流された血潮で洗い清めることによるのです。メッセージをお聴きください。

 

2019年6月22日

🔶説教題:信仰と機知

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ15:21〜31

 

 カナンの女が娘が悪霊によって苦しめられているので助けて欲しいとイエスにしつこく願い続ける話が出てきます。イエスは、冷たいと思われるほど無視し続けます。そして、彼女はイエスの前にひれ伏して願います。その時の問答がとても印象的です。機知に富んだ彼女の言葉に、イエスは簡単の声をあげ、その信仰を認めるのです。この印象深い話には、どんな意味が込められているのでしょう。ご一緒に考えましょう。

 

2019年6月30日

🔶説教題:怖いパン種

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ15:32〜16:12

 

四千人の給食の話が出てきました。五千人の給食に続いて二回めです。これほどの天のしるしは無いと思いますが、ファリサイ派とサドカイ派の人々はわからなかったようです。それで、天のしるしをイエスに求めるのですが、邪悪な時代のしるしはヨナのしるししかないと答えていますが、明らかにあきれて、そのような不信仰な者には十字架と復活のしるしがわかるだろうか、あんに突っぱねているのです。さて、考えるべきポイントを説教から見つけましょう。