🔸説教題:わたしである
🔸説教者:佐久間典臣
🔸聖 句:ヨハネ18:1〜11
今回、ビデオ撮影中にビデオカメラが停止してしまいました(33分22秒ぐらい)。最後の部分を再度撮影し直しましたので、ZOOM礼拝の内容と若干違っています。申し訳ございませんでした。
いよいよヨハネ福音書18章に入ります。ここからがヨハネの言いたかった本題に入って行きます。それまでは、イエスとは誰であるか、イエスにはどんな意味があるのか、と18章以降の主題に焦点を向けていたのです。そして、今日の個所では、「わたしである」と主が繰り返しお語りになるこの言葉の意味を考えます。英語では、[I am]です。出エジプト記で神様のお名前が教えられた時、「私はあってある者」とおっしゃったのですが、英語では[I am]でした。ですから、18章でイエス様はご自分は誰であるか、何をしようとしているのか、イエスの出来事の背後に父なる神様がいることを伝えているのです。
🔸説教題:アンナスとペトロ
🔸説教者:佐久間典臣
🔸聖 句:ヨハネ18:12〜27
逮捕されたイエスはアンナスの邸宅に連行されます。そして、このアンナスこそが権力の中枢にいて、ローマに媚を売って生きていたのです。イスラエル人からも憎まれるほどの悪党ですが、またローマとも手を結んで地位と権力を築いていった人です。そのアンナスの不法な審問やイエスに対する悪意があります。一方、対照的にどこまでも実直にイエスを愛し、心配しながらも、イエスとは関係ないと三度も言ってしまう憐れなペトロ。そのペトロの失敗を責めないどころか、ペトロのイエスへの愛を見ておられるイエス。良い箇所ですのでご一緒に考えましょう。
🔸説教題:真理とは何か
🔸説教者:佐久間典臣
🔸聖 句:ヨハネ18:28〜38a
ユダヤ人たちは総督の官邸へイエスを連行した。いよいよ、イエスはローマの代表者の前に出ることになった。その場でのやりとりが大変興味深い。聖書の面白さを理解する学びが期待できる。
🔸説教題:この人を見よ
🔸説教者:佐久間典臣
🔸聖 句:ヨハネ18:38〜19:16
ピラトはイエスに罪を見出せなかった。しかし、祭司長は十字架にかけろと強硬だった。このピラトの心の葛藤と祭司長たちの異常なやりとりがとうとう、イエスを十字架刑に決めるのですが、裁いているはずのピラトが、そして祭司長たちユダヤ人がイエスの御前で裁かれていることに気が付く。彼らは言い逃れのできない不信仰を表すことになる。
🔸説教題:成し遂げられた
🔸説教者:佐久間典臣
🔸聖 句:ヨハネ19:16b〜30
キリストが十字架に架けられる箇所が今日のテキストです。私たちは、テレビや映画なのどの影響もあって、キリストの十字架の場面は残酷でむごいものと思い込んでいます。実際にはそうであったとしても、ヨハネはそのようには描写していません。驚くほどで、原文ではたった三語です。「そこで彼を十字架形にした」とあるだけです。その意図は何でしょう。それは、キリストの最後のお言葉「成し遂げられた」にあります。