💠説教題:信仰者の姿
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ルカ17:1〜10
イエスは弟子たちに話し出します。弟子は「信仰を増してください」と言います。そこで、イエスはからし種一粒ほどの信仰があれば、と諭します。ここで、多くのクリスチャンはからし種一粒ほどの信仰もない、と嘆くのですが、主の言われたのは、信仰は多い少ないではなく、「ある」か「ないか」のどちらかだけだと教えられたのです。ですから、誰も、自分の信仰は少ないとか弱いとか言ってはならないのです。そうではなく、信仰があるなら、どんなに小さな信仰でも、奇跡を起こすぐらいの力があることを諭しているのです。
💠説教題:信仰と救い
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ルカ17:11〜19
10人のうち何人がお礼に帰ってくるか?答えは、一人。それも、ユダヤ人ではなく、サマリア人だった。このようなお話をします。イエスは、この一人帰ってきたサマリア人に「あなたの信仰があなたを救った」と言います。肉体の癒しではなく、霊的な救いを言われた。このことも考えてみよう。
💠説教題:神の統治
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ルカ17:20〜37
今日の場面でイエスへのファリサイ派の質問は、神の国はいつくるのか、というものでした。彼らにとってメシアの考え方が間違っていたのですが、そのことに全く気がついていません。そのために、目の前にメシアがいるのに、なんともまのぬけた質問をしたものです。そして、メシアがすでに来ていることが、神の支配が始まったことを意味していたのです。神の国と訳しているので、意味が分かりにくくなっていますが、イスラエルの民ならば、神の支配と訳すところです。神の国は・・・、となるので天国のイメージになってしまいますが、神の独り子でキリストが到来したので、彼らの中にすでに神の支配が始まっているということを理解させようとされている箇所が、ここになります。
💠説教題:裁判官とやもめ
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ルカ18:1〜8
聖書を読んでいるとオヤ!と思ってしまう箇所があります。その一つが今日の聖句です。牧師でも嫌いだと公言する方がいます。それぐらい、わかりにくい箇所なのだと思います。しかし、再臨を待望している人にとっては、励ましを受ける箇所なのです。早速、説教を聞いてみましょう。
💠説教題:神よ、この罪ある私に憐れみを
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ルカ18:9〜14
クリスチャンが熱心に信心に励むと、ファリサイ派の人のようになれます。ファリサイ派の人たちは、信心深いと人々に認められていたのです。しかし、イエスは神が義とされたのは、このファリサイ派ではなく、罪人の代表のような徴税人の方だったのです。では、徴税人は何をしたのでしょうか。今日のイエス様のお話は、人の救いとは何かを明確に教えています。ご一緒に考えてみましょう。