親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。
箴言16:24
今日は誰かに親切な言葉をかけてみよう。口先だけで親切な言葉を言うことは難しい。簡単そうに見えて実はうまく言葉が続かないだろう。まずは心が親切であることが必要となる。それは、親切な行動からでもかまわない。そうすると、いろいろなところで時間がかかるかもしれない。お年寄りや小さな子供を助け、目の不自由な人がいたら勇気を出して声をかけたりすれば、当然時間がかかるのだが、その後は心が清々しいはずだ。そして、キリストは愛を実践したが、その言葉も親切だった。だから、この批判的な世界であえて親切な言葉を発する人になると決めてしまおう。自分の言葉が誰かにとって「魂に甘く、骨を癒す」としたら、素晴らしいことだと思わないだろうか。きっと、親切な言葉があな
たの心を変えて、人生は随分楽しいものになるだろう。早速、誰かに試してみよう。(サクマ)
2月2日(木)
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
マルコ11:24
これは信仰者へのチャレンジでもあり、信じるということの意味を教えています。間違ったことのために祈ってもそれはかなえられることはありませんが、自分の心を注ぎ出すような祈りは力があります。そして、イエス様が教えてくださった祈りは、「すでに受けたと信じなさい」と祈りの極意を示されたのです。それでは考えてください。あなたは今どうしても神様にかなえていただきたい願いがありますか。そのことを祈った時に、すでに受けたと信じられますか。たとい時間がかかっても、その信仰を身につけるためにも、実践することに意義があります。信仰とは言葉ではなく、そのとおりになる力なのです。(さくま)
2月3日(金)
なずべきことはただ一つ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
フィリピ3:13、14
クリスチャンになると、人生に目標が定まります。多分、多くのクリスチャンはイエス・キリストのようになりたいと考え、聖なる者になることを願っているでしょう。しかし、それは言葉で言うほどには簡単ではないのです。熱心に立派なクリスチャンになろうと頑張ることもあるでしょうが、それではうまくいきません。色々なキリスト教の本を読んでもみても、便利な方法など書いていないのです。それで、がっかりすることもあるかもしれませんが、少しずつ神様は課題を与えますから、それを結局はこなしていくことになります。とても信仰とは関係ないように見えることでも、実は生活の全てが関係しているのです。神様は、信仰生活を深めるごとに、聖書がより理解できることを示してくださいま
す。特に祈りが重要で、信仰と祈りが比例していることも事実で、聖書から学ぶ真理も祈りや信仰と深い関係があるのです。神様が義としてくださるのですから、人間的な努力は役立ちませんが、「義人は信仰によって生きる」と聖書にあるように、信仰は求められます。そこで、私たちは、まるでマラソンランナーにでもなったかのように、勝利の栄冠を目指して走り出しているのです。信仰によるマラソンです。調子の良い時もあれば、苦しくて棄権したくなる時だってあります。それでも、イエス様が励ましてくださるので、まだ走っているのです。パウロもそのことを私たちに告げています。賞を得るような走りを見せろと言っているのです。この挑戦を受けてみようではありませんか。(さくま)
2月4日(土)
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
ヨハネ15:16
このディボーションを読んでいるということは、あなたも主に選ばれているということです。私たちは、自分で信仰を持った気になっていますが、実は主に選ばれたのです。それがどれほどの特権であるかまだ理解していないかもしれません。しかし、み言葉の通りに、私たちは出て行って実を結ぶことができるのです。私の場合ですと牧師ですから、福音を伝え、聖書を教え、洗礼を施し、新しいクリスチャンという実を結ぶことができます。使徒ならば、教会を立ち上げるでしょう。伝道者なら、福音の種まきをし、求道者を見つけるでしょう。それぞれに役割があり、聖霊の賜物をいただきます。それらは、キリストへと導く働きです。そのためには必要なものは何でも願えば与えられるのです。この働き
は聖なる権威が伴います。それは、主に任命されたからです。あなたも実を結ぶ時が来ています。(佐久間)
2月5日(日)
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。ヤコブ1:22
あなたは引っ込み思案だろうか。消極的で自分から行動を起こさない方だろうか。それならば、何か良いことを期待しても待ちくたびれるだけに終わるかもしれない。聖書には驚くほどの知恵が書かれてあり、何よりも真理がある。だから、読んで忘れているようではその宝を生かすことができないはずだ。聖書を読んで何かわかったと思ったなら、行動を起こすべきだ。主は、互いに愛し合いなさいと教えた。しかも、掟にしたのだ。愛し合うためには相手が必要だ。そこで、出かけて行って、誰かに親切にすることになる。まずは愛を示す必要がある。待っていても相手の人はイエスの教えを知らないのだ。だから、知っている自分から行動すればいい。これはビジネスでも、結婚相手を見つけることでも、
奉仕でも、就職でも、高価な買い物でも、多くの場合に効果があるのだ。勇気がなければ祈れば与えられる。消極的になればストレスが増す。楽観的になれば、楽しくなる。さて、今、あなたは何を望んでるだろう。まずは、楽しいことを考えてワクワクしよう。そして、祈ってから、出かけよう。小さくても良いので無償で良いことを誰かに与えてみよう。良いことはすぐにでも始まるものだ。(サクマ)
2月6日(月)
わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。御顔を向けて、わたしを憐れんでください。わたしは貧しく、孤独です。悩む心を解き放ち、痛みからわたしを引き出してください。
詩篇25:15~17
人生が上手く行かない人がいます。何が原因かもよくわからずに悩みが増していくのです。願わくば、平和な日々を送りたいだけなのに、悩みが勝手に湧いてくるように思えるほど心が痛み、辛いのですがどうすればいいのかがわからないのです。人に相談しても、誰も助けることができないなら、これは神様の領域です。人生が上手く行っている時には思わないのですが、このように足が網に絡まってしまったように、もがいてももがいても悩みから解放されないという事態になったなら、神様に必死になって嘆願するのです。思いつく限り悔い改めて、十字架に主の元に告白するのです。そして、主の憐れみにすがることです。あなたの信じている主だけが救うことができます。あなたの悩む心を解き放つこ
とができるのはイエス・キリストだけです。信仰を発揮することです。祈りに時間を費やすことです。聖書に答えを求めることも必要でしょう。あなたの罪を赦すことも主が完全にやり遂げてくださいます。この時によく考えることです。主はあなたの絶対的な助けです。(さくま)
2月7日(火)
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
詩篇139:1~4
自分のことをいつでもちゃんと理解して欲しいと思うのは誰にとっても切実なことです。それを人間に求めると失望することが多いでしょう。ところが、聖書を読んでみると、今日の御言葉がそのことを語っています。つまり、神様はあなたのことを全部知っていてくださるというのです。それどころか、何か話そうと口を開く前にすでに主はその内容を知っておられるというのです。私たちは人を恐れて時々罠にかかるのです。それで、聖書では恐れてはいけないと繰り返し警告が書かれています。人を恐れない方法は、ただ一つ、人間以上の存在を畏れることです。つまり、神様が自分の全てを理解していてくださり、言葉で失敗することのある者であってもそれでも愛していてくださるということです。自
分の中では言いたいことがあっても、人前では言えないことの方が多いかもしれません。しかし、神様はその口を出ていない言葉を理解できるのです。それで、あなたを認めていてくださいます。神様以上の存在などありませんから、人にどう思われようが気にすることはありません。それがわかると、気が楽になって、逆に人前でも堂々としていることができます。人が色々言っても、余裕で聞き流せるのです。あなたのことを見ていてくださる方がおられるのですから、その方にこそ心を向けて生きていきたいですね。(さくま)
2月8日(水)
また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ4:19
生活に不安を覚えたり、不足を心配したり、と人間が生きていく時に感じる必要を満たせるのか、という感情は自然なものです。今のような時代は、いくらお金をもっていたら安心できるのかと雑誌が特集を組むほど誰もが不安を抱えています。そのような時に、クリスチャンはどうだろうか。この世の信仰を持たない人と同じだったらちょっと残念です。クリスチャンは聖書に書かれたことを神の言葉として信じています。ですから、祝福されていることを単純に信じることができるはずです。聖書は、お金を追い求めることの危険を警告してはいますが、貧しいことが良いことだとは言っていません。それどころか、今日の御言葉のように、私たちの必要をすべて満たしてくださると約束しているのです。で
すから、必要なものがなくて困るということにはならないと信じていることが大切です。自分のできることは誠実に果たし、他の人へ分け与えることも必要なのです。欲によって生きるのではなく信仰によって生きるのです。イエス・キリストへの信仰はいつでも報われるからです。(佐久間)
2月9日(木)
苦難の襲うときわたしが呼び求めれば、あなたは必ず答えてくださるでしょう。主よ、あなたのような神は神々のうちになく、あなたの御業に並ぶものはありません。・・・あなたは偉大な神、驚くべき御業を成し遂げられる方、ただあなたひとり、神。
詩篇86:7、8、10
人生にはいつ何が起こるかわかりません。だからと言って不安におののいて生きることは愚かです。クリスチャンは、聖書に生きる人たちです。そこに、全てが書かれているから生涯手元から離すことなく繰り返し読んでいくことになります。そして、今日のような箇所を見つけます。このみ言葉を読むと、自分がどのような恵まれた特権の中に生きているかがよくわかります。人間などに頼っている人は失望するだけです。でも、真の神に頼る者にとって、これほど確実な安心と保証が他にあるでしょうか。あなたが窮地に陥った時に、真っ先に主を呼び求めるのです。すると、主は必ず答えて、あなたを助けてくださいます。それも完全にです。この世には色々な宗教があり、色々な神々を拝む人たちがいま
すが、彼らの望みは、偶像として刻まれた枯れた木や石や金属で話すこともできません。命がないからです。これも空しいことですね。また、悪魔が偽りの神を装っても、神の御業に及ぶわけもなく、問題にもなりません。私たちの神は偉大です。讃美を受けるにふさわしいお方です。ただ唯一の神なのです。私たちはこの偉大な神を信じ、日々讃美する者として召されているのです。ハレルヤ。(佐久間)
2月10日(金)
あなたがたを聖なる者とする”霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになっかたからです。
2テサロニケ1:13