10月1日(水)
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
詩篇32:8
私たちは、自分が何になれば良いのかわからずに、行くべき道を見つけることができない者のようです。時代や環境や国によって職業選択の自由がない人たちも大勢いました。逆に、日本のように憲法で定められていても、そもそも自分が何になればいいのか分からないと思っている人は多いのです。全員、農業とか家業を継ぐとか決められれば考えなくていいかもしれませんが、自分の適性と合わなければ嫌気がさすでしょう。一芸に秀でた天才なら、わかりやすいでしょうが、それでうまく行く保証はありません。中学の友達は公務員になりたいと言っていました。それは定時に帰れるからだという理由でした。高校の友達は、医者になると言い切っていました。別の友達は芸大を目指していました。獣医になると言っていた小学校の同級生は本当に獣医になりました。面白いことにサラリーマンになりたいという人はいなかったのです。大半がサラリーマンになったのにです。若い時には、社会のこともわからずに仕方のないことですが、今のように転職が当たり前の時代になるとも思っていませんでした。江戸時代に生まれたのなら、どの家に生まれて来るかで人生は大違いでした。しかし、どのような境遇に生まれてきたとしても、自分を生きるしかないのです。幸い、クリスチャンは聖書が与えられ、道を求めている時にも、今日の聖句にあるように、「悟りを与え、行くべき道を教えよう」と神の御声を聞くことができます。大勢の人間がいても、あなたは神にとってその他大勢ではないのです。ただ一人の大切な人として、「目を留めて、助言を与えよう」と言っていただけるのです。そのことを知っているだけで、私たちは人生を自信を持って生きていけます。何になればいいのかわからない人も、悟りが与えられというのなら、神に祈って悟りを与えてくださいと率直に言えばいいのです。「『行くべき道』を教えてください」と祈るのです。その答えは自分の願いと違っているかもしれません。しかし、満足する結果が待っているはずです。人生はいつでもチャンスが待っているのです。信仰を発揮して、充実した人生を生きて行きましょう。