10月5日(日)
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
コロサイ3:15
教会の素晴らしさは、キリストを頭として教会員たちはその体として一体となることです。一人では弱く大きなことを成し遂げることが無理でも、教会員が一つになれば話は違ってきます。可能性が出てくるのです。そこで、教会員は導かれた教会でキリストの体の一部になったと理解するのです。そのためには、互いに愛し合う必要があります。他を生かすために自分を犠牲にすることすら起こるのです。このような教会は、個々人がキリストと結び合っていますから、やがてそれぞれがキリストのようになることも理解できます。個性を失うことなく、召されてクリスチャンになった人たちの教会と自分も一つになり、それゆえにキリストとも一つになれるのです。このことを実現するには、「キリストの平和が、あなたのがたの心を支配するようにしなさい」。「そのためにこそ」と続いていますから、一体となることの意味が繋がっているのです。そこで、クリスチャンは、キリストの平和が心を支配するようにします。これは、キリストの十字架の贖いによる罪の完全な赦しと清め、神との和解、肉に対する死、罪によって死んでいた私がキリストの復活にあずかり、共に復活すること、自分を捨て自分の十字架を負って主に従う主への従順、そして、神の子としていただきキリストと共に天の王座についたことにより、神との平和を得ているのです。その平和があなたがたの心を支配すること、それは悪魔の誘惑にもよろめかず、神の御言葉を信じ、キリストを信頼することです。それは、神の子とされたことを信じ、神の子への天からの恵みを受け取ることです。また、この世にありながら、すでに神の国に生かされていることを信じることです。それを教会員同士で励まし合いながら実現するのです。さらに、この信仰からそれないように「感謝の心を持つ人になりなさい」。このことを実践するのは、すべての教会員です。各自の役割があるはずです。
10月4日(土)
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
ローマ8:38、39
結局、私たちの信仰は、主キリスト・イエスが示された神の愛によっているのです。罪をいくら責めてみても、そこに良いものが芽生えることはないでしょう。しかし、神の愛は人間にとってまったく意外なものでした。現代人にとって愛がわからないという人は稀なことで、何かしらの事情があるのですが、多くの人々は愛を良いものと認識しています。しかし、その愛も裏切ることができるようなものなのです。例えば、愛と言ってすぐに思い浮かべるのは「夫婦の愛」「親子の愛」「恋人の愛」「師弟の愛」あるいは「友情としての愛」など、愛も実は色々種類があるものです。ところが、「夫婦の間でどちらかが裏切る不倫」などが起こるのです。夫婦といっても所詮は他人、と決めつけ離婚することもあります。それに比べ、親子は血が繋がっているから、と言っても子供を虐待する親や子供を捨てる親もいるのです。こうした愛が続かず、壊れやすいのは、罪が原因です。無条件にありのままに愛されたいのに、それをかなえることは簡単ではありません。しかし、クリスチャンになった方々は知っています。無条件にありのままに愛してくださる神がおられることを。その愛はイエス・キリストによって示されました。その愛に触れてしまったのです。主に愛されて、すっかり何もかも変わってしまいました。人間につまずくことはあっても、主イエスにつまずくことはありません。信仰の旅路を辿って歩み続けると、何度もイエス・キリストから引き離そうとする力が働きます。そこで、イエスから離れてしまえば、無条件に愛される事実から自分を切り離すことになるのです。人間は愛されなければ生きていけないのです。しかし、人間はただでは愛してくれません。条件付きなのです。でも、イエスは無条件に愛し続けてくださいます。主の愛情があるので、私たちは満たされ、元気に生きているのです。この神の愛は、永遠に私たちの価値を証明するものなのです。