💠説教題:言葉の過ち
💠説教者:佐久間典臣
💠聖 句:ヤコブ3:1〜12
教師の裁きは他の人より重い、という話から始まります。現代でも、教会に青年がいれば、牧師に憧れることがあります。しかし、神様の召命がなければ、誰も自分勝手に牧師にはなれません。もし、牧師になっても、すぐに続けることができなくなります。新約時代の教会では、教師になりたがる人が多く出たそうです。彼らは、ユダヤ人でラビのことを知っていました。ラビは、両親よりも尊ばなければならなかったのです。高い地位と名誉が与えられていました。それとキリスト教の教師を混同したのです。それで、教会で偉くなりたいという人たちが安易に教師になりたがったのです。今日の教会は、どうでしょうか。舌の問題も含めて考えてみましょう。