7月1日(水)
人間を豊かにするのは主の祝福である。
人間が苦労しても何も加えることはできない。
箴言10:22
箴言は素晴らしい、とばかり言っていられない。なぜなら、自分で考えなければ意味がないからだ。一見、もっともだと思って平凡な箴言だと通り過ぎてしまいそうな箇所だ。しかし、二行目は気になる。「人間が苦労しても何も加えることはできない」とは、どうだろう。普通の人間ならば、苦労して頑張ることで何がしら良いものを手にできると思っているのではないだろうか。今朝テレビで看護師の数が不足している話をしていた。看護師の仕事は大変だとは部外者でも感じている。それなのに献身的働いて偉いものだと感心しているだが、必要な人数を満たしていないどころか、二万人も不足しているというのだ。その要因の中に、給料が安いというものがあって驚いた。看護師は給料が高いと思っていたからだ。ところが、医療報酬の中で給料を支払うために、何年も横ばいで、他の職種で給料が上がっているために、差が広がっているというのだ。「人間が苦労しても何も加えることはできない」との御言葉がよぎる。これから先、看護師の必要は明白なのに、増えていかないのは心配だ。アメリカやカナダの看護師の給料は年収で一千万円を超える。待遇改善のために、思い切った政策が必要なことを痛感している。さて、実は、一行目の御言葉を正しく理解しなければ、この聖句を理解できない。ここで問題にしているのは、「人間を豊かにする」ことである。私たちは、世俗の考えに影響されて、人間の豊か、を正しく理解していないのかもしれない。お金が豊かさを表すとは思えない。健康でなければならないし、心が元気で明るく、豊かな感受性で神を知り、平安であることは豊かさの中に含まれる。牧師インターンの頃、給料が普通で考えれば、絶対に生きていけないほど安かった。それなのに、貧乏だと思ったことはない。不思議と必要な時に必要なものは全て与えられたので、困ることはなかった。主からいただいた物を書き出したらキリがない。たとえば、札幌だったので冬にスキーに行かなければならないと、教会でバザーが開かれ、その残ったものにスキー一式があったのでタダでもらえた。東京転勤が決まって、ストーブを持っていなかったので、祈ると、住んでいた所の向かいにリサイクルショップがあって、そこの店主が軽トラで帰ってきたところに出会ったら、その荷台にファンヒーターが積んであり、それが我が家のものとなり、長く使うことになった。不思議と長い間壊れなかったのだ。そんなことがたくさんあった。だから、この聖句を信じて欲しい、クリスチャンは主に祝福されているので、あなたも自分の力に頼らずに主に信頼を置けば、豊かにしていただける。贅沢をするような豊かさではないかもしれないが、生きて行くのが楽しいと思える程には豊かにしてくださる。なんとありがたいことか。
