2019年2月3日

🔶説教題:罪人を招くために

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:1〜13

 

 罪人を招くために主イエス・キリストは来られたことが明瞭にわかる箇所です。律法学者はイエスと罪人が一緒に食事をするのが我慢なりません。私たちがもし、律法学者のように宗教を捉えていたなら、私たちは清い者となるために努力するようになるでしょう。その時に、清くなるために、罪人を汚れていると遠ざけるようになるのです。しかし、うわべは清くなったように見えても、決して清くなったと神様に認めていただけるかどうか自信が持てないでしょう。そもそも、律法は神を愛し、自分を愛するごとくに隣人を愛することを定めているものなのです。それなのに、罪人を差別するのは、愛の否定になるので、そもそもおかしなことなのです。罪人が変われるのは、いつでも愛されたときだけです。さて、今日のメッセージを聞いてみてください。

 

2019年2月10日

🔶説教題:断食ありかなしか

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:14ー17

 

 ヨハネの弟子たちがイエス様に自分たちは断食をするのに、イエス様のお弟子たちは断食しないのはなぜか、と問いかけるところから今日のテキストは始まります。これは、断食の意味するとことが、自己犠牲を払って隣人愛を貫くことであったのに、自己を高めるための形式的なものになってしまっていたことを戒める目的がありました。そして、よく知っている二つの譬え話が続きます。ご一緒にその真の意味を探ってみましょう。

 

2019年2月16日

🔶説教題:立ち止まるイエス

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:18〜26

 

複雑に交錯する二つの物語から、イエス・キリストの意味を探ります。私たちの命を司るお方が、憐れみに富み、あなたの為に立ち止まる。本編をご覧ください。

 

2019年2月23日

🔶説教題:収穫の働き手

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ9:27〜38

 

今日の聖書箇所は、今まで読んできたことのまとめです。死人を蘇らせたり、癒しや悪霊追い出しなど、イエスは、並みの宗教教師とは違っていました。人を心から憐れみ、慈悲に満ちた心で人に接していたのです。それゆえに、私たちの信仰が問われているように思われがちですが、救われるのは、普通の人の普通の信仰で全く構わなかったのです。特別信仰熱心とか、到底真似のできない一途な信仰という強烈なものを求められても、私たちの何人がそのように途方も無い信仰に達することができるのでしょう。ところが、イエスの言動は、マタイのような罪人と一見してわかるほどの人でも受け入れるのですから、その裏付けとなる罪をわが身に引き受ける気概がなければできないことばかりでした。それは、死んでいる者に命を与えることができる凄さと同時に、十字架にかかって、イエスが助けた人たちの罪と罰を全て引き受けて死んで見せ、尚且つ、死を打ち破るために復活する勝利者となる覚悟がすでにあったのです。このことを覚えて、説教に耳を傾けてください。