2019年9月メディア

2019年9月7日

🔶説教題:富める青年

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ19:13〜26

 

 イエスのおっしゃる「小さな者」と富める青年のような「大きな者」の対比があって、律法を完全に守って、その行いによって報いのように永遠の命を得ようとする考えは強力で、それがイエスの救いの意味を理解する最大の障害になっています。どんな人も結局は罪人であり、罪人という意味は、神の掟を完全には守れないという意味になるので、神の憐れみにより、恵みで救われるしかない。その恵みを受け入れることができる人が「小さな者」なのです。考えさせられる箇所なので、ご一緒に真理を探ってみましょう。

2019年9月14日

🔶説教題:先の者が後になり

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:マタイ19:27〜20:16

 

イエスが教えていることは、今日のクリスチャンにとっても重要なことです。当時のユダヤのファリサイ派や律法学者など宗教家が自分たちの功績を誇っていたことは明らかです。それは、小さな者と比べられ、この世の取るに足りないものや何の功績も無い者がキリストのゆえに救われることを宗教家たちは認めることができませんでした。このキリスト教の救いの重要な箇所をご一緒に考えてみましょう。

2019年9月21日

🔶説教題:仕える者となる

🔶説教者:佐久間典臣牧師

🔶聖 句:マタイ20:17〜28

 

 イエス・キリストが弟子たちに理解させようと教え続けた、小さな者で良いという話がどうしても悟れない人たちの話が今日の箇所です。そして、イエスが異邦人に渡され、侮辱され、ムチ打たれ、そして十字架に架けられる、というイスラエル人には最もショッキングで耐えられないような話を主が語られました。クリスチャンが目指す生き方にも関わる重要な真理を少しでも理解できようにご一緒に考えてみましょう。

2019年9月28日

🔶説教題:主よ、憐れんでください

🔶説教者:佐久間典臣

🔶聖 句:マタイ29〜34

 

 小なる者が救われる、という主の教えは、なかなか弟子たちにも理解できなかった。その中で、二人の盲人が主に憐れみを乞う場面がこの聖書箇所です。「主よ、憐れんでください」この叫びは、叱られても止められてもやめなかった。そして、主は立ち止まり、深く憐れみ、盲人の目を癒してくださった。この中に、イエス・キリストの意味があります。大きくなりたいと願う者たちは、実は小であるからそう思うのです。それが宗教であれば、律法を完全に守って立派な行いにより義と認めてもらいたい、となるのです。しかし、人間の努力では義となれない悲しさがあります。唯一希望は、イエス・キリストがたとえ小なる者でも義としてくださるということです。このことを聖書から読み解きます。